徒然草~距離感~


人間関係において、距離をどう保つかというのはデリケートな問題です。

人には誰しも踏み込まれたくない領域というのがあるはずです。

エヴァンゲリオン的に言えば「A.T.フィールド」ということになりましょうか。

また、Aさんに対する時とBさんに対する時とでは、心地よい距離というのは違うわけです。

もちろん、同じ人同士でも時と場合によっては心地よい距離が違ってきます。

人ってメンドクサイですね(笑)

でもメンドクサイから面白いんでしょうね。

世捨て人というのは、そのメンドクサさに嫌気がさした人が多いのかもしれません。


【原文】
朝夕、隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへる様に見ゆるこそ、
「今更かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほげにげにしく、よき人かな、とぞ覚ゆる。
疎き人の、うちとけたることなど言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。


【現代語訳】
常日頃、隔たりもなく親しくしている人が、ふとした時に、自分に気を使い、取り繕っているように見えるのは、
「今更、改まる必要もないだろうに」などと言う人もいるに違いないが、やはり誠実で素晴らしい人だなあ、と思われる。
また逆に、疎遠な人が、うちとけたことなどを言った場合もまた、良いなあときっと思うだろう。


『徒然草』の第37段です。

最初に書かれている、親しい人が急に改まる、というのは「ふとした時に」と書かれています。

今でも、例えば、何かめでたいことがあった時や逆に不幸があった時、あるいは年始の挨拶などなど、ありがちでしょう。

二つ目の、疎遠な人がうちとけるケースは「ぬべし」(きっと~だろう)を用いているので実体験ではないかもしれません。

兼好法師の言う「うちとける」はもう少し堅い話のはずですが、例えば今で言うと。

知り合った人と、いつから敬語を使わずに会話するか。

いつからニックネームで呼ぶか。

こんなあたりが分かりやすいのではないでしょうか。

ちょうど良い時やきっかけというのがあるはずで、それを逃すとまたしばらくダメということになるようです。

人との距離を縮めるのが上手い人というのが世の中にはいるらしいです。

僕自身は、人付き合いはそんなに得意ではありません。

偏見かも知れませんが、関東の人より関西の人の方が人付き合いが上手な気がします。

テレビを見る限り、千原兄弟のお兄さん、千原せいじさんは達人らしいですね。

新幹線で移動中に知らない人と仲良くなって、降りるまでの間に喧嘩していたことがあるとか(笑)

羨ましいです。

「残念な人」呼ばわりはご免ですが(笑)

 

↓メールでのご意見はこちらからどうぞ。(コメントは最下部から)
[contact-form-7 404 "Not Found"]

Posted in 古文

コメントは受け付けていません。