『俊頼髄脳』という著書は、『源氏物語』や『枕草子』などと比べれば広くは知られていないと思います。
平安時代の歌人、源俊頼(1055~1129)が執筆した歌論書です。
歌論というより参考書でしょうか。
「髄脳」とは、作歌するにあたっての作法などをまとめた手引き書のことです。
『俊頼髄脳』は、源俊頼が、時の関白・藤原忠実の依頼により、忠実の娘・薫子(やすこ)のために書いたものです。
今日はそんな『俊頼髄脳』から。
【原文】
次に、沓冠折句といへるものあり。十文字ある事を、句の上下におきて詠めるなり。
あはせ薫き物すこしといへる事を据ゑたる歌、
逢坂も果ては行き来の関もゐず訪ねてこばこきなば帰さじ
これは、仁和のみかどの、かたがたに奉らせ給ひたりけるに、みな心もえず、返しどもを奉らせ給ひたりけるに、
広幡の御息所と申しける人の、御返しはなくて、薫き物を奉らせたりければ、
心あることにぞ思し召したりけると語り伝へたる。
【現代語訳】
次に、「沓冠折句」といったものがある。十文字のことを、句の上と下に置いて詠んだものである。
例えば、「あはせ薫き物すこし」といったことを各句に据えた歌は、
逢坂も…〔逢坂の関も、日がすっかり暮れてしまうと行き来する人を取り締まる関守もいない。
私の所も同じです。さあ女たちよ、夜に人目を忍んで私の所に来るなら来なさい。来たら帰さないよ♪〕
これは、光孝天皇が後宮の方々に送り申し上げなさったところ、誰も真意を理解できず、返歌を差し上げなさったが、
広幡の御息所と申し上げた人は、御返歌ではなく薫き物を差し上げたので、
天皇は情趣を解する方だとお思いになったと語り伝えている。
さあ、お分かりでしょうか。
「折句」に関しては以前に書いたので、忘れた/知らない、という方はこちらを御覧ください。
ここでは更に一等上の「沓冠折句」です。
本文に書いてある通り「あはせ薫き物すこし」という言葉を折り込んだ歌です。
「あはせ薫き物」というのは「練り香」のことです。
旺文社の古語辞典によると「沈香・麝香などを砕いたものに、貝香の粉末をまぜ合わせ密で練ったもの」だそうです。
で、和歌のどこに「あはせ薫き物すこし」が隠れているのでしょうか。
各句の先頭の一文字と末尾の一文字を摘み取ってつなげてみてください。
すべて平仮名にして分かりやすくしてみるとこうなります。
「あふさかも はてはゆききの せきもゐず たづねてこばこ きなばかへさじ」
赤→青の順で読むと「あはせたきものすこし」になりますね。
これが何の前置きもなく送られてきて理解するのは大変なことだと思います。
表面的な意味は関係なく、「合わせ薫き物を少し分けてくれ」という意味だったのですね。
これを見抜いた広幡の御息所という方は凄いですね。
ちなみに、文中では光孝天皇ということになっていますが、村上天皇の間違いではないか、と言われています。
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