『源氏物語』を書き上げた紫式部。
その紫式部のもう一つの代表作が『紫式部日記』です。
中でも有名なのが「女房批評」の部分でしょう。
手紙のような文体で書きつづります。
その中から今回は和泉式部評を紹介したいと思います。
【現代語訳】
和泉式部という人は風情ある手紙のやりとりをしたものです。
しかし和泉っちは男にだらしないところがあるにせよ、
気楽に手紙をサラッと書いたときに、その方面の才能がある人で、
ちょっとした言葉に優美な点も見受けられるようです。
彼女が詠んだ歌はとても趣があるものです。
歌に関する知識や理論という点では、真実の歌人という感じではないようですが、
口に任せて詠みだした歌に、かならず面白い一節が目にとまる詠みぶりです。
それでも、人が詠んだ歌を批判して論じる時には、まあそこまで歌を分かっていないようで、
言うなれば「口に歌を詠まされているようだ」と見受けられる作風ですね。
こちらが恥じ入ってしまうほどの立派な歌人だなあ、とは思えません。
ということで。
和泉式部についてはまずまずの評価が下されました。
和泉式部は紫式部と同じく中宮彰子にお仕えした女房で、つまりは同僚ということになります。
最初の方で「男にだらしない」と訳しましたが、原文は
「けしからぬかたこそあれ、」
で、直訳すれば
「不埒なところはあるが、」
とでもなりましょうか。
和泉式部について「不埒なところがある」と言われたら、恋多き女として名高いので、そのことだろうと思われます。
ので、ちょっと大げさに意訳しました。
和泉式部についてはこちらを御覧くださいまし。
ということで、和泉式部についてでした。
明日に続きます(たぶん笑)。
【原文】
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。
されど和泉はけしからぬかたこそあれ、
うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、
はかない言葉のにほひも見え侍るなり。
歌はいとをかしきこと。
ものおぼえ、歌のことわり、まことの歌詠みざまにこそ侍らざめれ、
口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠み添へ侍り。
それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらんは、いでやさまで心は得じ、
口にいと歌の詠まるるなめり、とぞ見えたる筋に侍るかし。
恥づかしげの歌詠みや、とはおぼえ侍らず。