このシリーズは今回で終わりです。
和泉式部、赤染衛門ときて、最後は清少納言です。
紫式部・和泉式部・赤染衛門の3人は藤原彰子に仕えた同僚の女房たちです。
一方、清少納言は藤原定子に仕えた女房で、どちらかと言えば対立する関係になります。
どちらかと言えば、と書いたのは、
紫式部が活躍した時期には清少納言はもう宮中を退いていた、とされているからです。
(※これも異説があるみたいですけど、通説では同じ時期に出仕していません。)
さ、そんな清少納言はどう言われるのでしょうか。
【現代語訳】
清少納言は得意顔がひどい人です。
あれほどに才女ぶって、漢字を書き散らしてますが、よく見るとまだまだ不十分なところも多いのです。
こうして人に抜きん出ようと思い、そういうことを好む人は、必ず見劣りがして行く末はみじめになるばかりですから。
優美を気取った人は、とても寒々としてつまらない時でも、無理に情趣を見出だそうとし、
趣あることを見過ごすまいとするうちに、自然とあってはならない、中身のない有り様になるのでしょう。
その中身がなくなってしまった人のなれの果てがどうして良いはずがありましょうか。
はいはい、ひどい言われようです(笑)
この文面をどう受け取るかは人によって大きく違ってくることでしょう。
紫式部と清少納言は人として両極にあるような印象です。
紫式部は宮仕えをあまり喜ばしいものと感じていなかったようです。
清少納言は嬉々として宮仕えに従事した人のようです。
宮仕えの場を芸能界に例えたのはマドンナ先生だったでしょうか。
清少納言は芸能界に憧れて憧れて念願かなって足を踏み込んだ人。
紫式部は周囲の思惑から入りたくもない芸能界に入ってしまった人。
相容れない二人であり、紫式部は清少納言にもの申さずにはいられなかった、という考え方があります。
が、また一方で、独立した作家ではないことも忘れてはいけないように思います。
要するに、紫式部は藤原道長・彰子にやとわれた作家です。
今の日記と違い、机の引き出しに鍵を掛けてしまい込み、コソコソ書いているのではありません。
道長や彰子の目に必ず触れる、というか、道長や彰子に捧げる文書なわけです。
従って、道長一族(御堂関白家)の賛美こそがこの日記の主目的であるわけです。
その点を考慮に加えた時、この文面を表面通りに受け取っていいのか、と思わずにいられません。
もう零落しているとはいえ、ライバル関係にあった道隆の一族(中の関白家)を賛美する名文を綴った清少納言。
これを否定することは紫式部の趣味嗜好とは別の、やとわれ作家としての職務だったのではないでしょうか。
面白い本があるので紹介します。
PHP新書の『源氏物語』と『枕草子』。
この本で藤原道長は「いじめの天才/冷血漢で陰湿」と評されています。
藤原定子が宮中を離れ大進・平生昌邸に引き移った時の話は『枕草子』にも書かれています。
出産のために引き移ったのですが、この時すでに父・関白道隆は世を去っており、道長の時代となっています。
大進、というのは中宮識の三等官で従六位。そこまで高い位ではありません。
道長の目を恐れて定子のために屋敷を提供する公卿がいなかったと言われています。
比較的有名な話ですが、定子が生昌邸に移る日を狙って道長はイベントを主催します。
結果、中宮様のお出かけにも関わらず付き従う者が少なかったそうです。
また、上記の本によると、
中宮定子が第一皇子・敦康親王を出産した日、道長は自分の娘・彰子を女御の位につけ、藤壺を与えたとか。
藤壺というのは清涼殿(帝の御座所)から最も近い殿舎の一つで、つまりは最高の場所です。
定子ちゃん、かわいそうですよね。
そしてまたまた上記の本では、
「紫式部は、(『源氏物語』の中で)清少納言が果たせなかった敵討ちをひそかに行っていたのかもしれない。」
と述べています。
敵討ちをしていたかどうかはともかく、紫式部の清少納言評をそのまま受け取れないだろう、というのが僕の意見です。
ということは、必然的に昨日・一昨日書いた和泉式部評、赤染衛門評もそのままは受け取れないかも知れません。
特に和泉式部をちょっと悪く書いているのは計算かも知れません。
身内ばかり持ち上げて清少納言をメッタ斬りにしては信憑性がないですよね。
とはいえ、赤染衛門を批判するわけにもいかないから、和泉式部を少し否定することで客観性を演出している、と。
まあそんな風にも考えられるのではないでしょうか。
さて、最初にも書いたとおり、シリーズはここで終わりです。
『紫式部日記』ではこのあと、紫式部自身について書き綴っていますが、事情があってそれは割愛します。
(※長くてメンドクサイからではありません 笑)
では最後に原文を載せておきます。
【原文】
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。
さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見ればまだいと足らぬこと多かり。
かく人に異ならんと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみ侍れば。
艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、
をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。
そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らん。