徒然草~頼むべからず~


悟る、とか悟りを開く、とかいう言葉があります。

宗教的な意味での「悟り」はまた別かもしれませんが、

俗に使う「悟り」というのは、要するに「動揺しない」ということだと思います。

ってことで『徒然草』の211段です。


【現代語訳】
あらゆることに対して期待してはいけない。
愚かな人は、深く物事に期待するために、恨んだり怒ったりすることがある。
権勢があるからといってあてにしてはいけない。強いものからまず滅びるものだ。
財産が豊かだからといってあてにしてはいけない。いつの間にかなくなりがちなものだ。
学問があるからといってあてにしてはいけない。孔子も時勢にあわずに終わった。
人徳があるからといってあてにしてはいけない。顔回も不幸だった。
主君の寵愛もあてにしてはいけない。あっという間に処刑される。
下僕が服従しているからといってあてにしてはいけない。裏切って逃げることがある。
人の誠意もあてにしてはいけない。必ず心変わりする。
約束もあてにしてはいけない。信義があることは少ない。
自分自身をも、他人をもあてにしなければ、上手くいった時に喜んでも、上手くいかない時に恨むことはない。
左右に広ければ妨げがない。前後に余裕があればふさがらない。身の回りが窮屈な時は押しつぶれて砕ける。
気を配る余裕があまりなくて張り詰めている時は、他人に逆らい、争いごとをして傷つく。
心がゆったりとして柔和な時は、微塵も損なうものなどない。
人間は天地の神秘である。天地は無限である。人間の本性がどうして天地と異なることがあろうか。
人の心も寛大で限界に達しない時は、喜怒の感情も本性の妨げとはならず、他人のために気を揉むこともない。


【原文】
よろづの事は頼むべからず。
愚かなる人は深くものを頼むゆゑに、恨み怒る事あり。
勢ひありとて頼むべからず。こはきものまづ滅ぶ。
財おほしとて頼むべからず。時の間に失ひやすし。
才ありとて頼むべからず。孔子も時にあはず。
徳ありとて頼むべからず。顔回も不幸なりき。
君の寵をも頼むべからず。誅をうくる事すみやかなり。
奴したがへりとて頼むべからず。そむき走る事あり。
人のこころざしをも頼むべからず。かならず変ず。
約をも頼むべからず。信ある事すくなし。
身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。
左右ひろければさはらず。前後遠ければふさがらず。せばき時はひしげくだく。
心を用ゐる事すこしきにしてきびしき時は、物にさかひ、争ひてやぶる。
ゆるくしてやはらかなる時は、一毛も損せず。
人は天地の霊なり。天地はかぎる所なし。人の性、なんぞ異ならん。
寛大にして窮まらざる時は、喜怒これにさはらずして、物のためにわづらはず。


言わんとしているところは非常に分かりやすいですよね。

何にも期待しなければ、変な動揺をすることはない。

「塞翁が馬」にもありますが、喜びと悲しみ、幸と不幸はみな一条。

そんな風に達観できれば、それがすなわち「悟り」なんでしょうね。

例え理屈で分かっていても、その心を常備するのは難儀なことです。

悟りを開いた女、松原夏海。偉大なり。

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