華麗なる変人にして僕の理想とする人物の一人である盛親(じょうしん)僧都。
『徒然草』に掲載されているこの章段は、ずいぶん前に取り上げたことがあります。
その時は、まだ連載という形式を採用していなかったので、《中略》を使っていました。
今回あらためて、全容を明らかにしたいと思います。(大袈裟・・・)
【原文】
真乗院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く食ひけり。
談義の座にても、大きなる鉢にうづ高く盛りて、膝元に置きつつ、食ひながら書をも読みけり。
患ふことあるには、七日、二七日など、
療治とて籠もりゐて、思ふやうに芋頭を選びて、ことに多く食ひて、よろづの病を癒しけり。
人に食はすることなし。ただひとりのみぞ食ひける。
極めて貧しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊ひとつを譲りたりけるを、坊を百貫に売りて、
かれこれ三万疋を芋頭のあしと定めて、
京なる人に預けおきて十貫づつ取り寄せて芋頭を乏しからず召しけるほどに、
また異用に用ゐることなくてそのあし皆になりにけり。
「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく計らひける、まことにありがたき道心者なり」とぞ、人申しける。
【語釈】
◯「真乗院の盛親僧都」
真乗院は仁和寺に属する寺院。盛親僧都は不明。
◯「やんごとなき智者」
「やんごとなし」はスーパー重要語。①捨ててはおけない、②高貴だ、③並大抵ではない、などの訳をする。「智者」は知識の深い僧。高僧。
◯「芋頭」読み:いもがしら
里芋の親芋のこと。調理法によっては美味しいらしい。こちら参照。
◯「二七日」読み:ふたなぬか
27であれば「二十七」と書く。ここでは「2×7日」つまり14日間のこと。病気療養の区切りの期間が七日単位だったらしい。「七」という数字は仏教の世界では何かとひとまとまりの単位になる。死者の供養も「初七日」や「四十九日」などがある。「四十九日」のことを、古文では「なななぬか(7×7日)」という。参詣も七日間を単位として行うことがあり、「七日詣で」などというのがある。
◯「銭二百貫/三万疋」
1,000文=100疋=1貫。現在でいうとどれくらいの額なのかよく分からないが、参考までに江戸時代の貨幣価値について取り上げているページがこちら。
【現代語訳】
真乗院に盛親僧都といって、たいへんな高僧がいた。芋頭というものを好んで、たくさん食べた。
説法の席でも、大きな鉢にうず高く盛って、膝元に置いて食べながら仏典をも読んだ。
病気を患った時には、七日、十四日など、
療養だといって籠もり、思いのまま良い芋頭を選んで、とりわけたくさん食べて、あらゆる病気を治した。
他の人に食べさせることはなかった。ただ自分一人だけ食べた。
極めて貧しかったので、師匠が死に際に、銭二百貫と僧坊一つを譲り渡したが、僧坊を百貫で売って、
最初の二百貫とあわせて計三万疋を芋頭を買う代金と決めて、
京にいる人に預けておいて、十貫ずつ取り寄せて、芋頭を存分に召し上がっていた間に、
また他のことに使うこともなくて、その銭はすべて芋頭になってしまった。
「三百貫もの金を貧しい身で手に入れ、このように使ってしまったとは、本当に珍しいお坊様だ」と人々は申した。
何度読んでもいいなあ、盛親僧都。
何のしがらみもなく好き勝手に生きている感じに憧れます。
この盛親僧都の大好物だった芋頭、一度食べてみたいなあとずっと思っています。
料理屋でもいいし自分で調理するでもいいんですが。
その芋頭を購入するので3万疋使い切った、と書かれています。
【語釈】で書いたとおり、100疋=1貫なのですが、そうすると3万疋は何貫でしょう?
そう、計算すればすぐ出ますが、3万疋=300貫ということになるのです。
師匠から200貫と坊(寺院に付属する僧侶の住居)一つを譲り受け、坊も100貫で売り飛ばした、とあります。
ということは、計300貫(=3万疋)相続したわけで、その全額を芋頭の購入代金にあてたことになるのです。
有り金ぜーんぶ芋頭。
これすごいなあ。いいなあ。羨ましいなあ。
僕も有り金ぜーんぶ夏海ちゃんの握手券にあてたいよ(笑)
【 徒然草~盛親僧都~(2)】