【原文】
あづまぢの道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、
いかに思ひ始めける事にか、世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、
つれづれなる昼間、宵居などに、姉、継母などやうの人々の、
その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、所々語るを聞くに、
いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでか覚え語らむ。
いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏をつくりて、
手あらひなどして、人まにみそかに入りつつ、
「京にあげ給ひて、物語の多く候ふなる、あるかぎり見せ給へ」と
身を捨てて額をつき祈り申すほどに、
十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。
年ごろ遊びなれつる所を、あらはにこぼち散らして、たちさわぎて、
日の入り際のいとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、
人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを
見捨て奉る、悲しくて人知れずうち泣かれぬ。
【語/文法】
◯「あづまぢの道のはてよりもなほ奥つ方」
「あづまぢ」は東海道。その最果ては常陸国(今の茨城)。そこよりも「なほ(=いっそう)」奥の方ということだが、具体的には、作者の父(=菅原孝標)の任国であった上総国(千葉)のことを指している。京からの距離は常陸より上総の方が近いが、房総半島は南に奥まった感じがするのでこの言い方なのか。
◯「生ひ出でたる人」
作者である菅原孝標女のこと。「生ひ出づ」は①生まれ出る、生え出る②成長する、育つ、の意味。ここでは②。
◯「あやし」
スーパー重要語。①不思議だ、奇妙だ②粗末だ③身分が低い、を覚える。ここでは②と③の中間のようなイメージ。田舎っぽく見苦しい、ほどの意味。
◯「あんなるを」
「あるなるを」の「る」が撥音便化したもの。撥音便につく「なり」は伝聞・推定の助動詞。ここでは伝聞の意味となる。
◯「いかで見ばや」
「いかで」は重要語。①どうして②どうやって③どうにかして、を覚える。ここでは③の意味で、願望の終助詞「ばや」 とあわさり「どうにかして~たい」となる。
◯「つれづれなる」
スーパー重要語。①することがなく退屈だ、手持ちぶさただ、②寂しい、を覚える。ここでは①。
◯「いとどゆかしさまさりて」
「いとど」はスーパー重要語。いっそう、ますます、の意味。「いと」(=とても)とは違うので注意。「ゆかし」もスーパー重要語。①心惹かれる②~したい(見たい 、聞きたい、知りたいetc.)を覚える。ここでは②。「さ」がつくと名詞化する。
◯「いみじく心もとなき」
「いみじく」はスーパー重要語。①非常に②非常に~だ③立派だ、素晴らしい、を覚える。ここでは①。「心もとなき」もスーパー重要語。①はっきりしない②不安だ③じれったい、を覚える。ここでは③。「おぼつかなし」と似た語。
◯「人ま」
人の見ていない間、人のいない間。
◯「物語の多く候ふなる」
ここの「候ふ」は、あります、ございます、の意味で丁寧語。「なる」は伝聞・推定の助動詞。
◯「門出」
現代にも残る語で、出発する意味。本格的な旅立ちの前の吉日にいったん他所へ移ってから旅に出るのが慣例だったようだ。
◯「あらはに」
丸見えだ、の意味。
◯「すごく霧りわたりたる」
「すごく」は、ぞっとするほどだ、荒涼としている、というような意味。良い意味にも悪い意味にもなる。「霧り」はラ行四段活用の動詞「霧る」の連用形。「わたる」は補助動詞で①一面に~②ずっと~、の意味。ここでは①。「たる」は存続の助動詞。「ぞっと寒気がするほど一面に霧が立ちこめている」くらいの意味になる。
◯「うち泣かれぬ」
「うち」は接頭語でたいした意味はない。「れ」は自発の助動詞。「ぬ」は完了の助動詞。
【現代語訳】
東海道の果ての地よりもさらに奥の方で育った私は、どんなにか田舎っぽく見苦しかっただろうのに、
どう思い始めたことだろうか、世の中に物語というものがあるというのを、どうにかして見たいと思って、
することもなく退屈な昼間や夜遅くまで起きている時などに、
姉や継母などのような人々が、その物語、あの物語、光源氏の有り様など、所々語るのを聞くと、
ますます知りたい気持ちは強くなるが、私の思う通りに、どうしてそらんじて語るだろうか、無理なことだ。
非常にじれったい気持ちのまま、等身大に薬師仏の像を造って、
手を洗うなどして、人の見ていない間にひそかに(仏間に)入って、
「早く上京させてくださって、物語がたくさんございますという、それらをありったけお見せになってください」と、
夢中になって額を床につけてお祈り申し上げるうちに、
私が十三歳になる年、上京しようということで、九月三日に門出していまたちという所に移る。
長年遊び慣れた所を、丸見えに取り外し散らして、大騒ぎし、
日没間近のとてもぞっと寒気がするほど一面に霧が立ちこめている時に、車に乗るということで、家に目を向けると、
人の見ていない間に参っては額を床につけてお祈りした薬師仏の像が立っていらっしゃるのを
見捨て申し上げるのが悲しくて、人知れずつい泣いてしまった。
※そこそこ直訳です。
菅原孝標女(すがはらのたかすゑのむすめ)が書いた『更級日記』の冒頭です。
地方で育った人が都会に憧れる気持ちは、古今東西変わらないのでしょう。
とはいえ、自分は横浜生まれの横浜育ちなので実際にそういう気持ちを抱いたことはないのですが。
物語の世界に憧れた少女時代~次第に現実に目覚め~宮仕えも経験し~結婚・夫と死別~そして晩年
といった人生を綴った日記です。
「すっげー楽しい!」ってことはありませんが、けっこう好きです、この作品。
しかし、よくもまあこんな幼い時のことから振り返って書けますよね。
ちょいちょいメモとか残してたのかな?