~前回までのあらすじ~
1)五月、雨の日が続いてすることもないのでホトトギスの鳴き声でも聞きに行こう、と出かけることにしまちた。
2)明順さんの家に寄ってホトトギスを聞いて、それからお米を挽く所を見せてもらいまちた。
3)明順さん、お食事を出してくれまちた。でも雨が降ってきたので急いで帰ることになりまちた。
いつまでも油を売っているわけに行かないのでそろそろ帰る清少納言ちゃんたちです。
といってもただ帰るわけに行かないのが清少納言ちゃんですよね。
【原文】
卯の花のいみじう咲きたるを折りて、車の簾、かたはらなどにさしあまりて、
おそひ、棟などに、長き枝を葺きたるやうにさしたれば、
ただ卯の花の垣根を牛にかけたるぞと見ゆる。
供なるをのこどもも、いみじう笑ひつつ、「ここまだし、ここまだし」と、さしあへり。
人も会はなむと思ふに、さらにあやしき法師、下衆の言ふかひなきのみたまさかに見ゆるに、
いとくちをしくて、近く来ぬれど、
「いとかくてやまむは。この車のありさまぞ、人に語らせてこそやまめ」とて、
一条殿のほどにとどめて、
「侍従殿やおはします。郭公の声聞きて、今なむ帰る」と言はせたる使ひ、
「『ただいま参る。しばし、あが君』となむのたまへる。
侍にまひろげておはしつる、いそぎ立ちて、指貫奉りつ」と言ふ。
【語釈】
◯「卯の花」
四月に咲く。四月を「卯月(うづき)」というのも、この花が咲く季節だから、とする説が有力。ちなみに、五月は梅雨(五月雨)の季節だが、五月雨は卯の花をダメにすることから「卯の花腐し(うのはなくたし)」とも呼ばれる。
◯「おそひ」
覆う物のことをいう。
◯「一条殿」
故藤原為光の邸宅のこと。
◯「侍従殿」
侍従とは、天皇のすぐ近くに仕えて天皇の補佐をする人。大納言・中納言・参議などの要人が兼任する。ここでは為光の六男である「藤原公信(きんのぶ)」。
◯「侍にまひろげて」
「侍」は「侍所(さぶらいどころ)」のことだろう、といわれる。「侍所」とは公卿の邸で事務を管理した侍の詰め所。「まひろげて」とは衣服をはだけている状態のこと。
【現代語訳】
卯の花が素晴らしくに咲いているのを折って、車の簾や脇のあたりにさして、それでもあまって、
牛車の覆いや棟木などにも長い枝を、まるで葺いているようにさしたものだから、
まるで卯の花の垣根を牛に掛けているもののように見えるの。
お供の男たちも、すごく笑いながら、「ここがまだだ、ここがまだだ」とさしあっていたわ。
誰か行き会ってほしいと思うけれど、卑しげな法師や言う甲斐もない下賤な者がたまに見えるばかりだから、
とても残念で、もう宮中の近くまで来てしまったけれど、
「とてもこのまま終わるわけにはいかないわ。この車の姿を人の話題にさせてからじゃないと」といって、
一条殿のあたりに車を停めて、
「侍従殿はいらっしゃいますか。ホトトギスの鳴き声を聞いて今帰るところです」と言いに行かせた使いが、
「『すぐに伺います。しばらくお待ちください、あなた』とおっしゃっています。
侍所に衣服もはだけていらっしゃったのですが、急いで立って指貫をはいていらっしゃいました」と言ったわ。
一条殿(藤原為光)という人は藤原兼家と摂関の地位を争って敗れた人です。
が、兼家と疎遠でもなく、協力して政治を行ったようです。
兼家の跡継ぎが道隆です。中宮定子ちゃんの父親ですね。
一方の為光の子には斉信(ただのぶ)がいます。
斉信は清少納言のあこがれの男性の一人で、『枕草子』の中でたびたび取り上げられます。
今回出て来た侍従殿(公信)は斉信の弟に当たる人物です。
次回はそんな公信が出てきます。
では今回はこれでおしまいです。
[ 枕草子~五月御精進のころ~(3)][ 枕草子~五月御精進のころ~(5)]