~前回までのあらすじ~
1)五月、雨の日が続いてすることもないのでホトトギスの鳴き声でも聞きに行こう、と出かけることにしまちた。
2)明順さんの家に寄ってホトトギスを聞いて、それからお米を挽く所を見せてもらいまちた。
3)明順さん、お食事を出してくれまちた。でも雨が降ってきたので急いで帰ることになりまちた。
4)帰る途中、卯の花がたくさん咲いていたので車にたくさんさしまちた。せっかくなので誰かに見せたいと思って、藤原公信を呼んでみまちた。
5)公信は待たずに宮中めざしてまっしぐらに帰りまちたが、公信が追いついて話しかけてきまちた。あれこれ話しているうちに雨が本降りになってきまちた。
6)公信も中宮様のもとに来るよう誘ったけど、服装がイマイチということで帰っていきまちた。
7)中宮様のもとに参上すると、歌を詠んでいなかったことで叱られてしまいまちた。
8)公信から届いた歌の返歌をしようとしたけれど、雷やらなんやらで慌ただしくて紛れてしまいまちた。どうやら歌に縁のない日のようでちゅ。
前回、なんだか歌に対してとっても逃げ腰の雰囲気を感じる清少納言ちゃんでしたね。
今回はその理由が語られる場面です。
【原文】
二日ばかりありて、その日の事など言ひ出づるに、
宰相の君、「いかにぞ、手づから折りたりと言ひし下蕨は」とのたまふを聞かせ給ひて、
「思ひ出づる事のさまよ」と笑はせ給ひて、紙の散りたるに、
下蕨こそ恋しかりけれ
と書かせ給ひて、「本言へ」と仰せらるるも、いとをかし。
郭公たづねて聞きし声よりも
と書きてまゐらせたれば、
「いみじううけばりけり。
かうだにいかで郭公のことを書きつらむ」とて笑はせ給ふもはづかしながら、
「何か。この歌よみ侍らじとなむ思ひ侍るを。
物のをりなど、人のよみ侍らむにも、『よめ』など仰せられば、え候ふまじき心地なむし侍る。
いといかがは、文字の数知らず、春は冬の歌、秋は梅、花の歌などをよむやうは侍らむ。
なれど、歌よむと言はれし末々は、すこし人よりまさりて、
『そのをりの歌は、これこそありけれ。さは言へど、それが子なめれば』など言はればこそ、
かひある心地もし侍らめ。
つゆとりわきたる方もなくて、さすがに歌がましう、われはと思へるさまに、最初によみ出で侍らむ、
亡き人のためにもいとほしう侍る」とまめやかに啓すれば、
笑はせ給ひて、「さらば、ただ心にまかせ。われらはよめとも言はじ」とのたまはすれば、
「いと心やすくなり侍りぬ。今は歌のこと思ひかけじ」など言ひてあるころ、
庚申せさせ給ふとて、内の大臣殿、いみじう心まうけせさせ給へり。
【語釈】
◯「宰相の君」
前回も登場した、作者の同僚の女房。藤原重輔(藤原時平の孫)の娘。「のたまふ」と尊敬語がついているので、作者よりランクが上の女房と分かる。
◯「いかにぞ、手づから折りたりと言ひし下蕨は」
ホトトギスを聞きに出かけていった高階明順のところでふるまわれた話を持ち出している。
◯「いみじううけばりけり」
「うけばる」は「憚る」の対義語。遠慮がないさまを言う。
◯「歌よむと言はれし末々」
「歌を詠むと言われた人の末裔」というのが直訳で、つまり「歌人の子孫」ということ。清少納言は『後撰和歌集』の撰者の一人である清原元輔の子。
◯「つゆとりわきたる方もなくて」
「つゆ~否定」は重要な副詞の呼応表現で、「まったく~ない」という強い否定を作る。「とりわく」は、他とは違う特別なものとする、という意味の語。「まったく人より秀でたところもなくて」ということ。
◯「歌がましう、われはと思へるさまに」
「~がまし」は「~めいている、あたかも~のようだ」などの意味。「われは」は「我こそは」の意味。「まるで立派な歌であるかのように、我こそはと思っている様子で」ということ。
◯「庚申」読み:こうしん
「かのえさる」の日。この日は、一晩中眠らない風習があった。眠ってしまうと、体内にひそむ「三尸虫(さんしちゅう)」が体から抜け出して天帝にその人の悪事を報告し、寿命が縮む、とされた。
◯「内の大臣殿」読み:うちのおおいどの
この時の内大臣は、中宮定子の兄である藤原伊周。
【現代語訳】
それから二日ほど経って、「あの日のことだけどさぁ」などと言い出したところ、
宰相の君が「どうだったの?明順さんが自分で摘んだとか言っていた下蕨は」とおっしゃるのをお聞きになって、
中宮様が「思い出すことがホトトギスじゃなくてそっちとはね」とお笑いになって、紙が散らばっていたのに、
下蕨こそ恋しかりけれ〔あの時食べた下蕨が恋しいことだなあ〕
とお書きになって、「上の句をつけなさい」とおっしゃるのもとても面白いことだったわ。
郭公たづねて聞きし声よりも〔ワクワクしながら訪ねて行って聞いたホトトギスの声よりも〕
と書いて差し上げたところ、
「ずいぶん堂々と言ってのけたわね。
こうまでして、なぜホトトギスのことを書いたの?」と言ってお笑いになるのもきまりが悪いけれど、
「いえいえ。この、歌というやつは詠みますまいと思っているのですよ。
何かにつけて人が詠みます時に、『お前も詠め』などとお命じになられると、もうお仕えできないような気持ちになります。
そりゃまあ、歌の字数が分からなかったり、春に冬の歌とか、秋に梅やら桜の歌なんかを詠むことはないでしょう。
ですが、歌人として知られた人の子孫は、少しくらい人よりも歌に優れていて、
『その折の歌としてはこれこそが良かった。なんと言っても、だれそれの子だから』などとも言われるなら、
詠みがいのある心地がすることでしょう。
でもちっとも秀でた所がないくせに、いかにも凄い歌みたいに、我こそはと思っている感じで真っ先に詠み出しますのも、
亡き父の名誉を傷つけるようで気の毒な気持ちなんです」と真剣に申し上げたところ、
お笑いになって「じゃあ好きになさい。こちらからは詠めとも言わないことにするわ」とおっしゃるので、
「とても安心しました。もう歌のことは考えません」などと言っているころ、
庚申の徹夜をしなさるということで、内大臣伊周様が、とても気合いを入れなさっていたの。
長いですね、今回は。
というわけで、清少納言ちゃんが歌を回避したがっていたのは、大歌人であった父の名誉のためだったんだとか。
あの人の子にしちゃあ、大したことないなあ、っていうのが嫌だったんですね。
その大歌人の子である、という血筋もコミで中宮様の女房に選ばれたんだと思うんですけどね(笑)
まあいいや。
とりあえず、中宮様から「歌は詠まなくて良い権利」を獲得することに成功した清少納言ちゃんでした。
たぶん、次でこのシリーズ最後です。
綺麗に、全10回で完結しそうです。
[枕草子~五月御精進のころ~(8)][枕草子~五月御精進のころ~(10)]