1920年に発表された、志賀直哉の作品です。
昔から好きな短編小説で、昨晩寝る前にふと手に取って読み返してみました。
何でこの作品が好きなのかなあ、と自問してみましたが、
おそらく、のどかでのんびりした世界観に惹かれているのでしょう。
簡単にいうと、秤屋(はかりや)に奉公している仙吉という少年がお寿司をご馳走になる話です。
最初の方にこんなやりとりがあります。
「何でも、与兵衛の息子が松屋の近所に店を出したと云う事だが、お前は知らないかい」
「へえ存じませんな。松屋というと何処のです」
「私もよくは聞かなかったが、いずれ今川橋の松屋だろうよ」
「そうですか。で、其処は旨いんですか」
「そう云う評判だ」
寿司屋について、番頭たちが話しているシーンです。
ちなみに、松屋というのは神田にあるデパートです。
以前に読んだときは「与兵衛」というのは寿司職人の名前だろうというだけで何も思いませんでした。
でもこれ、与兵衛寿司の与兵衛さんですよね。
初代華屋与兵衛さんは江戸時代の人で1858年に亡くなっているので、何代目かは分かりませんが。
以前に読んだころは、与兵衛寿司なんて知りませんでした。
和食レストランのチェーン店に「華屋与兵衛」というのがありますが、
あそこに行った時、お箸の袋に「華屋与兵衛が握り寿司を考案した云々」と書いてあるのを見て
初めて知りました。
ちなみにレストランの名前は握り寿司を考案した華屋与兵衛さんから取ったようですが、
レストランと華屋与兵衛さんとはまったく縁もゆかりもないそうです(笑)
Wikipediaによると、華屋与兵衛の流れを汲む両国与兵衛寿司は1930年に閉店したのだとか。
その華屋与兵衛が両国に出した寿司屋は、本所区元町(地図の◯)という所にあったそうです。
地図上の大きな川は隅田川で、③と書かれた橋が吾妻橋です。
このあたりは今の墨田区ですね。
当時、すでに浅草の方から東京都電車(都電)も開通していました。
で、先ほど引用したやりとりよりも更に前、ほとんど冒頭部分には、
やはり先ほどと同じ番頭二人による会話があります。
「おい、幸さん。そろそろお前の好きな鮪の脂身が食べられる頃だネ」
「ええ」
「今夜あたりどうだね。お店を仕舞ってから出かけるかネ」
「結構ですな」
「外濠に乗って行けば十五分だ」
「そうです」
「あの家のを食っちゃア、この辺のは食えないからネ」
「全くですよ」
この後に、最初に引用したやりとりが続くわけですが、
番頭2人が行こうとしているのは本所区元町(両国)の与兵衛寿司なのかな、と最初は思いました。
でも調べてみたら違うみたいです。
「外濠」というのは「東京電気鉄道外濠線」という路線です。(分かりやすい路線図のページ)
まさに皇居(旧江戸城)の外濠を巡る路線のようで、両国方面には行きません。
ちなみに、この秤屋は神田にあるという設定です。
そもそも、地の文にはこう書いてあります。
行儀よく坐っていた小僧の仙吉は、「ああ鮨屋の話だな」と思って聴いていた。京橋にSと云う同業の店がある。その店へ時々使に遣られるので、その鮨屋の位置だけはよく知っていた。
なので、京橋方面にある寿司屋のようですね。
京橋ってどこら辺?という人も多いかと思います(自分もそうでした)ので位置関係を確認すると。
これが、神田・京橋・本所の位置関係です。
●が秤屋●が与兵衛寿司●が京橋の寿司屋、という感じで位置を適当に推測しました。
秤屋と京橋の寿司屋は実在したものをベースに小説を書いているのか分かりませんけどね。
小僧の仙吉は、秤を買いに来た客にふとしたきっかけで寿司をご馳走になるのです。
その寿司屋は最初に引用した、神田松屋の近くに店を出した与兵衛の息子さんの寿司屋です。
秤屋からもそう遠くない位置にありそうですね。
この小説は最後の閉じ方もすごく好きなんですが、そこの引用はやめておきます。