徒然草~人におくれて~


持論ですが、「国語力」と言われるものの主要素は「比喩を理解する力」のことではないかと。

比喩にも様々な種類があります。

 

①「(まるで)~のような/ように」というタイプが直喩。

②「なっつみぃは僕の太陽だ」というタイプが暗喩(隠喩)。

③日本の行政(機関)のことを「霞ヶ関」と呼ぶのは換喩。

④『ONE PIECE』に出てくる「ルフィー」のニックネームが「麦わら」なのは提喩。

 

堤喩は換喩の一種です。

今回のお話は「例え方」がおかしいだろっていう内容です。


【現代語訳】
人に先立たれて、四十九日の法要に、ある聖を招きましたところ、
説法が素晴らしくて、集まった人々は皆涙を流した。
導師が帰った後、聴聞の人々が、
「いつにもまして、格別に今日は尊く感じられました」と感激し合っていた返事に、
ある者が言うには、
「何と言いましても、あれほど中国の犬に似ておりますからには」と言ったので、感動もさめて、滑稽だった。
そのような導師の褒め方があるだろうか。
また、「人に酒を勧めるといって、自分がまず飲んで、それから人に無理に飲ませ申し上げようとするのは、
諸刃の剣で人を斬ろうとするのに似たものである。
両方に刃がついているものだから、持ちあげる時にまず自分の頭を斬ってしまうので、人を斬ることができないのだ。
自分が先に酔いつぶれてしまったら、まさか人はその酒を召し上がるまい」と申した。
諸刃の剣で試しに斬ったことがあったのだろうか。とても滑稽だった。


『徒然草』の第125段です。

一人でずれたことを言う人いますよね。笑

かく言う自分もそうかもしれません・・・

が、皆が感涙しているところで「唐土の犬に似てましたなあ!」とはなかなか言えたもんじゃありません。笑

空気を和らげようとして言ったのか、天然ボケだったのか分かりませんが。

原文では「唐(から)の狗(いぬ)」と出てくるのですが、どんな犬種だったのでしょう?

犬種にはまったく通じていないので調べてみました。

パグって中国の犬だったんですね、知りませんでした。

結局、どの犬種のことなのかは分かりませんが、何にせよ、縄文時代から日本でも犬を飼っていたそうです。

ペットとして、あるいは食用 ギョッ!Σ(・oノ)ノ として。

「羊頭狗肉」などという四字熟語で「中国では犬も食べるんだなあ」とは思っていましたが、

日本でも犬の肉を食べる習慣があり、それが廃れていったのは「生類憐れみの令」以降だそうです。

「生類憐れみの令」を出したのは江戸幕府の五代将軍綱吉で、1700年頃です。

300年ほど前までは日本でも犬を食べる食文化があったのか・・・

 

続いて「諸刃の剣」の例えですが。

原文では単に「剣」と書かれています。

剣(けん/つるぎ)というのは基本的に諸刃のものを言います。

ドラクエ的なやつです。笑

日本でも遺跡から出土している銅剣やら鉄剣に諸刃のものがありますね。

ですが、日本では片刃のものが発達したのは周知の通りで、日本刀といって諸刃を想像する人はいないでしょう。

そもそも「刀(かたな)」の「かた」は「片」からきています。

ちなみに、「な」は「薙」との関連性が考えられるようです。

で、兼好はこの剣の例えを滑稽がっていますが、今では普通に受け入れられていますね。(諸刃の剣


【原文】
人におくれて、四十九日の仏事に、ある聖を請じ侍りしに、
説法いみじくして、皆人、涙を流しけり。
導師帰りてのち、聴聞の人ども、
「いつよりも、ことに今日はたふとくおぼえ侍りつる」と感じあへりし返事に、
ある者のいはく、
「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなんうへは」と言ひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。
さる導師のほめやうやはあるべき。
また、「人に酒すすむるとて、おのれまづたべて、人にしひ奉らんとするは、
剣にて人を斬らんとするに似たる事なり。
二方は刃つきたるものなれば、もたぐる時、まづわが頸を斬るゆゑに、人をばえ斬らぬなり。
おのれまづ酔ひて臥しなば、人はよも召さじ」と申しき。
剣にて斬り試みたりけるにや。いとをかしかりき。

 

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