源氏物語~桐壺~(3)


この更衣の方がお住まいになっている殿舎は桐壺でございました。

帝が、数々のお后様のお部屋の前をひっきりなしに素通りなさるものですから、

后の方々がやきもきなさるのも本当にもっともなことと見受けられました。

桐壺様が帝のもとに参上なさる場合にも、あまりに頻繁だと、

殿舎をつなぐ橋や渡り廊下のあちこちに、ひどい嫌がらせを仕掛けて、

御送り迎えの人の着物の裾が耐え難いほどに汚れるなど、とんでもないことが度々あったのです。

またある時には、どうしても避けて通れない馬道と呼ばれる廊下の両端の扉に鍵を掛けて閉じ込めてしまったり、

后の方々は共謀して桐壺様を困らせ、途方に暮れさせてしまいなさることも多くございました。

何かにつけて、数え切れないほど苦しいことばかりが増えていくので、とてもひどく思い悩んでいるのを、

帝はますます気の毒なことと御覧になって、

もともと後涼殿を賜っていらした別の更衣の方のお部屋を他へお移しになって、

桐壺様の控えの間としてお与えになったのでした。

その居所を移された更衣の方の恨みはまして晴らしようもないほどだったのも当然のことでした。

ところで、この桐壺様がお生みあそばした御子が三歳におなりになる年の御袴着の儀式の際には、

第一皇子がお召しになった御装束にも劣らず、

内蔵寮や納殿にしまわれている豪奢な装束や装飾品を惜しみなく持ち出して絢爛豪華に着飾らせなさいました。

そのことに関しましても、世間は非難囂々でしたが、

この御子の大人びたお顔立ちや気立ての程は世にも珍しいほどにお見えになるものですから、

お憎みになることはできないのでした。

物の道理がお分かりになる人は、こんな人がこの世においであそばすものなのだなあと、

呆然として目を丸くするばかりでいらっしゃいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


桐壺の更衣、という風に呼べるのはこの部分以降ですね。

「桐壺様」と訳しておきましたが。

桐壺というのは、内裏の北東に位置する殿舎です。(下図参照)

清涼殿と桐壺を赤枠で囲っておきました。

清涼殿というのは帝が日常お過ごしになる所です。

この清涼殿から桐壺へ行く、あるいは桐壺から清涼殿に向かうとなると、

今回出てきたように様々な殿舎の脇を通っていかなければなりませんね。

それで大変な恨みを買った、と書かれています。

もちろん、位の高いお后ほど清涼殿から近い殿舎を与えられることになりますので、

桐壺の更衣は冒頭にもあった通りですが、さほどの地位ではないのに帝に愛されすぎたのですね。

ちなみに、袴着とは今の七五三に相当する儀式です。

 

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