その年の夏、桐壺様はご病気を患って里下がりをなさろうとしたのですが、
帝は内裏を離れることをお許しになりませんでした。
この数年、桐壺様はいつも病気がちでいらしたので、帝も見慣れておしまいになって,
「やはり、このまましばらく様子をみなさい」とおっしゃるのですが、
日に日に病は重くおなりになって、たった五六日のあいだに、非常に弱々しくなったものですから、
桐壺様の母君が泣きながら帝に訴え申し上げて、桐壺様を退出させ申し上げなさることにしました。
このような時でさえも、桐壺様は、他のお后たちの陰謀であるまじき恥をかかせてはいけないと、
御子は内裏にお残しして、ひっそりと出てお行きになるのです。
病が重い人は内裏を去るきまりがあるので、帝も桐壺様を引き止めてばかりいらっしゃるわけにもいかず、
と言って、お立場上お見送りさえできないじれったさを、言いようもないほどもどかしくお思いになるのでした。
たいそう輝くばかりに美しくかわいらしい桐壺様が、ひどくやつれて、
深い哀しみを胸に染み込ませながら、言葉にして申し上げることもできず、
今にも命の灯が消えてしまいそうになりながら横たわっていらっしゃるのを御覧になると、
帝は後先をお考えになることなどおできにならず、色々なことを泣きながら約束しておっしゃるのですが、
桐壺様はお返事も申し上げなさることができず、とてもだるそうな眼差しで、
いっそう頼りなく意識もはっきりしない様子で床に伏しているので、
どうしたらよいものかと帝は困惑して途方に暮れなさってしまいました。
帝は桐壺様が輦車にお乗りになることを許可する宣旨をお出しにはなったものの、
こうしてお部屋にお入りになって愛しい桐壺様を御覧になると、
どうしても内裏を去ることをお許しになることができないのでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
いよいよ病の思い桐壺更衣です。
平安末期の『讃岐典侍日記』もそうなんですが、
古典における病人の苦しそうな描写は意外と細かくて長いんですよね。
この後も悲痛な文が続くのですがそれはもちろん次回に。
ところで、文中に「輦車」というのが出てきますが、これは「てぐるま」と読みます。
人力車のことですが、今のものとは形が大きく違います。(図)
特別高貴な方が、天皇の許可を得た場合に乗ることが出来ます。
桐壺更衣、どうなっちゃうんでしょうね、なんて書くのも白々しいですが・・・
では続きをお楽しみに。
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