十二月五日 「あるジーサンに線香を」を観てきた。これで通算3度目じゃ。わしはもう3度も観とるが、松原夏海というのはええ娘じゃ。ああいう娘を嫁にもらいたい。あと1回観に行くつもりじゃ。
ってね、ジーサンスタイルでかくとこんな感じでしょうか。
12/05(木)はもともと観に行く予定ではありませんでしたが、休みになったので行ってきました。
僕が行く時はいつもお客さんの入りが多いです。
平日でしたが、今回も8割以上は埋まっていました。
今まで観てきた中で、夏海ちゃんの歌のシーンは一番良かったです。
音程がわりかしあっていたのと、何か気持ちが入っていたような気がして。
さておき、今回は原作との簡単な比較を試みたいと思います。
※以下、ネタバレあり。
前にも書きましたが、このお芝居は東野圭吾さんの同名小説が原作なのです。
まずお芝居のキャスティングですが。
佐川照男・・・モト冬樹(87歳のジーサン。若返りの手術を受ける)
佐川扶美・・・山本陽子(照男の妻。随分前に他界しているが、霊となって照男の前に現れる)
新島光彦・・・おりも政夫(照男の主治医。若返りの手術を照男に施す)
花田広江・・・愛華みれ(新島の恋人であり、また片腕として働く女医。40代に若返った照男と恋に落ちる)
井上千春・・・松原夏海(病院の売店で働く女の子。歌手になることを夢見ている。20代の照男と恋に落ちる)
飯吉徳三郎・・・坂元亮介(照男が設立したおもちゃ会社の専務)
白鳥涼子・・・桜乃彩音(飯吉専務の部下)
片山大介・・・田村幸士(同おもちゃ会社の新人社員。)
山田トメ・・・川和郁子(照男の入院仲間のバーサン)
伊藤恵子・・・おおらいやすこ(片山の友人)
池上守・・・草野元紀(片山の友人)
となっております。
この中で、原作にも登場するのは、
佐川照男・佐川扶美・新島先生・花田広江・井上千春・山田さん、の6人です。
ただし、新島先生と山田さんは名字だけで名前は設定されていません。
設定の違いもいくつかあります。
【佐川照男】
《舞台》最初から入院⇔《原作》通院のち入院
《舞台》おもちゃ会社の会長⇔《原作》不明。かつては町工場の職人?
【佐川扶美】
《舞台》霊として照男につきまとう⇔《原作》照男の回想に少し出てくるだけ
【花田広江】
《舞台》女医⇔《原作》看護士
《舞台》新島の恋人?愛人?⇔《原作》新島との関係不明
【井上千春】
《舞台》病院の売店で働く⇔《原作》照男の自宅近くの書店の店員
《舞台》歌手を目指している⇔《原作》作家を目指している
あと、山田さんも原作では一瞬しか出てこない役ですが、舞台では活躍します。
さらに、舞台のオリジナルキャラである片山は佐川照男の会社の新入社員ですが、
これに相当するのは原作だと井上千春の文芸仲間です。
また原作は《アルジャーノンに花束を》に沿って、佐川照男の日記という形で話が進みます。
舞台では、照男の日記の他、新島光彦および花田広江による経過観察記録という形になります。
更に、舞台では若返りの手術は極秘ですが、原作だと病院内ではオープンになっているようです。
そして、原作では照男と千春は一定の距離を保ちますが、舞台だとおそらく契っています。
舞台の脚本ではハッキリと契ったとは言いませんが、そうかな、と。
でなきゃ、千春は照男(舞台では照彦と偽名を使う)との別れにあんな風には泣かないのでは?
でもどうなんだろう?契っていないという見方もできるかと思います。
しかし何と言っても妻・扶美の存在が舞台と原作との最も大きな違いでしょうね。
最後、照男と扶美のシーンが涙を誘います。
原作はパロディ要素が強いのでそもそも読者を感動させようという意図は皆無です。
舞台の脚本を書いたのは福田卓郎さんという方で、
原作の膨らませ方には、《アルジャーノンに花束を》を意図した何かがあるように思います。
以下に、僕なりに感じた《アルジャーノン》との関係を整理してみたいと思います。
佐川照男/チャーリイ・ゴードン
佐川扶美/ノーマ・ゴードン
新島光彦/ジェイ・ストラウス博士&ハロルド・ニーマー教授
花田広江/アリス・キニアン
井上千春/フェイ・リルマン
飯吉徳三郎・白鳥涼子・片山大介(・伊藤恵子・池上守)/ドナー・ベイカリーの店員
飯吉以下の人物は舞台オリジナルで、原作には登場しません。
このオリジナルキャラも好き勝手に配置したのではなく、
上記の通り《アルジャーノン》に出てくるパン屋の店員たちとの対応関係を見ました。
精神遅滞者であるチャーリイをからかいつつも、どこか慈しんでいるドナー・ベイカリーの店員たち。
舞台では、「ジーサン、ジジイ」とバカにしつつどこか敬愛している飯吉・白鳥・片山の会社社員。
酔っぱらってチャーリイをからかい、ひどい目に遭わせるシーンが《アルジャーノン》にありますが、
片山・伊藤・池上は酔っぱらって20代に若返った照男をからかい、口論になります。
ただし、片山・伊藤・池上の戦争論議の話は原作でも出てきます。
しかし原作では井上千春の文芸仲間として出てくるだけで、名前も設定されていません。
(あるいは、伊藤・池上の2名はドナー・ベイカリーと切り離してもいいかもしれない)
いずれにせよ、この対応関係は原作の《あるジーサンに線香を》では見つけることが出来ません。
扶美とノーマを結びつけるのはかなり大胆な解釈かもしれません。
ノーマというのはチャーリイの妹です。
チャーリイには、幼いころノーマがチャーリイに対してつらくあたっていた記憶しかありません。
が、手術で天才と成った後、恐る恐るノーマに再会すると、
ノーマは家族の誰よりもチャーリイを愛していたことが分かるのでした。
照男が死ぬ前に扶美の愛、扶美への愛を噛みしめるのと重なっているように感じられました。
これも、原作では感じられないものです。
何しろ、扶美は原作ではほとんど登場しないので。
千春はフェイと結びつけて良いでしょう。
チャーリーが終盤で関係を持った女性がフェイですし、千春も照男が20代まで若返った時の相手なので。
舞台では、原作にないシーンとして、千春と照男(照彦)は一夜をともに過ごします。
そして《アルジャーノンに花束を》では、チャーリーとフェイは肉体関係を持っています。
初めてベッドインとした時、手術をする前の精神遅滞者のチャーリーに一時的に戻ってしまうのです。
結果、この時には性交渉に発展することはありませんでした。
一方、舞台では、照男と千春が一夜を過ごした翌朝、照男は老化が始まり40代に戻ってしまいます。
(フェイと千春を重ねると、初めて一夜を過ごした時には契っていないとも見ることができる)
それで照男は逃げるように千春と別れるのですが。
原作でも千春はフェイと重なるのかもしれませんが、舞台ではいっそうフェイの要素が強いようです。
新島先生がストラウス&ニーマー、花田広江がキニアン先生というのは、異論なしかと思います。
当たり前ですが、完全に一致するわけはありません。
チャーリイとキニアン先生は心は惹かれあいますが、肉体関係には結局いたらないですし。
というわけで、簡単な考察をしてみました。
こういう見方も楽しいですよね!