帝はこんな状況でも御子のことを御覧になりたいというお気持ちが強いのですが、
このような時に内裏に仕えなさるというのは前例のないことなので、間もなく退出なさることになりました。
御子は何があったのかさえもお分かりになっておらず、お仕えする人々が動揺して泣き、
父帝までもが御涙をずっと流していらっしゃるのを、何だろうと不思議に思いながら拝見していらっしゃるのでした。
しきたりにのっとって桐壺様をお弔い申し上げるのを、
御母上は「私もいっしょに煙になりたい・・・」と、
泣きながら思い焦がれなさり、御葬送に向かう女房の車に同乗なさって、
たいそう荘厳に葬儀を執り行っている愛宕という所に到着なさった時の御胸の内は、
どれほど悲痛なものだったことでしょう。
御母上は、蘇ることのない桐壺様の御亡骸を見ながら、
「それでもやはり生きていらっしゃると思いこもうとしても空しいばかりなので、
灰になってしまわれたのを見申し上げることで、もう亡くなってしまったのだと無理にでも思い切るのです」
と、理屈めいたことをおっしゃったのですが、狼狽のあまり車から落ちそうにおなりになったものですから、
「やっぱり・・・」と女房たちはお扱いに少々困っているようでした。
そこへ内裏から御使者があって、
亡き桐壺様に三位を追贈なさる旨を伝える帝のお言葉を読み上げたのは、悲しいことでした。
女御とさえ言わせることがないままだったことが心残りに思われなさるので、
せめて存命中より一つ上の位を、と追贈なさったのでした。
しかし、この件についても桐壺様をお憎みになる人々が多くいたのでございます。
心ある御方々は、桐壺様の御容姿が素晴らしかったこと、
気立てが穏やかで人当たりが良く、憎みがたいものがあったことなどを今になって思い出しなさるのでした。
みっともない程のご寵愛のせいで冷たくもし、疎んじていらしたものの、
しみじみと情愛深かった桐壺様のお人柄を、天皇付きの女房たち同士で恋しがり懐かしんでおりました。
「『なくてぞ人の恋しかりける』(死なれてみると恋しいことよ)とはまさにこのような折かしら」
と思わずにはいられないのでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
手元の古語辞典の「更衣」の項目には、「女御の次位。大納言以下の家の娘で、多くは五位。」
と書かれていますが、桐壺更衣は生前四位だったようですね。
そして、桐壺更衣の父親は確かに大納言だったことが既に語られていました。
死後に位を贈ることを「追贈」と言いますが、桐壺更衣は追贈によって、従三位となりました。
桐壺更衣の火葬は「愛宕」(おたぎ)で行った、と書かれています。
愛宕は当時の火葬場だったようです。(こちら)
火葬の歴史について興味のある方はWikipediaを参照してください。
しかし、人間とは勝手なことを言うものです。
失ってみて初めて気づくその存在の大きさ。
今も昔も変わらないですね。
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