「今なお生きながらえておりますことがつらくて仕方ないのですが、
畏れ多い上様のお使いの方がこうして荒れた庭に置く露を分け入っておいでくださったことにつけても、
みすぼらしさがとてもきまり悪くございます」
といって、亡き桐壺様の母君はこらえきれずにお泣きになりますが、それも無理なからぬことでした。
靫負の命婦は、
「典侍が『参上してみると、ますます心苦しくて、精も根も尽き果てるようでした』
と上様にお伝えしていらしたのは聞いていたのですが、
こうして参上してみますと分別のつかない私のような者の心にも、本当に堪えがたいものがございます」
と言った後、少し心を落ち着かせて、託された御伝言を申し上げました。
「上様は『しばらくは夢ではないかとばかり思い乱れていたが、だんだんと心が静まるにつけ、
深い悲しみはさめることもなく、この堪えがたさはどうしたらよいものかと思っても、
それを問いかけるのにふさわしい人さえ近くにいない。だからお忍びで内裏に参上なさってはくれないか。
若宮がたいそう気がかりで、湿っぽい中にお過ごしなさるのも心苦しく思われてならないから、早く参上なさい』
などと、しっかりとは物をおっしゃることもできず、むせかえっておいでになりながら、
気弱な所を見せまいと人目を気になさって、
気丈に振る舞おうとなさるご様子の心苦しさに堪えかねて思わず退出してしまったので、
最後までお言葉を聞けていなかったかもしれませんが」といって、帝からのお手紙をお渡ししました。
母君は、
「涙に暮れて物も見えませんが、この畏れ多いお言葉を光として読みましょう」といってお手紙をご覧になりました。
帝のお手紙には、
「時が経てば少しは気も紛れるかと思い、その時を待ちながら過ごすのに、
日に日にとても堪えがたい気持ちが増すのはどうしようもなくつらいことです。
幼い若宮のことも、どうしているだろうかと思いを馳せつつ、我が手で一緒に養育しないもどかしさよ。
今となっては、この私を亡き桐壺の君の形見と思って、やはり内裏にお越しください」など、
心を込めて書いていらっしゃいました。
「宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」
〔宮城野の野辺に夜露がおりる冷たい秋風が吹く音に、まだ小さい萩は大丈夫かと思いやられることです。宮中に吹きすさぶ風が身にしみて、涙が催されるとともに若宮のことが思われてなりません〕
という和歌もあったのですが、涙にくれて最後までご覧になることができないのでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
会話や手紙が増えてくると、訳しがいが増すというものです!笑
って、笑うような内容じゃありませんが・・・
前回、桐壺更衣の母君は勅使である靫負の命婦を自邸に迎えました。
寝殿の南面に下ろして、という風に書かれていたのですが。
当時の貴族達は「寝殿造り」と呼ばれる建築様式の邸宅を構えていました。
いい加減に描いた図ですが、寝殿造りとはこんな感じです。
乗ってきた牛車を、寝殿の南側にぴたりとつけて勅使をお迎えしたと書かれていました。
普通は中門(中門の廊と一体化している)で下車するらしいのですが、
勅使なので寝殿まで牛車を招き入れたのだとか。
ふーん、て感じですね。
もっとしっかりした寝殿造りはここらあたりを参照してくださいませ。
さて、本文には「典侍」と出てきます。
読み方はいくつかあるのですが、「ないしのすけ」と読むのがスタンダードでしょう。
天皇の女性秘書的な役割の機関「内侍司」(ないしのつかさ)の次官が典侍です。
内実が変容していった役職なのですが、興味のある方はこちらを。
この地位にあった人で、文学上もっとも名高いのは堀河天皇時代の藤原長子でしょう。
通称は「讃岐典侍」(さぬきのすけ)で、『讃岐典侍日記』を執筆しました。
それから、帝の和歌に出てくる「宮城野」ですが、現在の宮城県仙台市東部にあった原野だそうです。
「突然出てきた景色は比喩だ!」と授業でよく言っています。
もちろん、これも帝が仙台までトコトコ旅に出て詠んだ歌ではありません。笑
地名の一部「宮」に、宮中をほのめかしているのです。
また、秋が深まってくると空気中の水分が冷えて水滴となり、夜露・朝露が草木に降ります。
歌中の「露」にはその水滴と同時に、涙が暗示されています。
露は風が吹くとすぐにパラパラと飛び散って消えてしまうため、“はかないもの”の象徴的存在でもあります。
そして「小萩」ですが、萩は秋の七草のひとつです。
「小」という字によって、小さい若宮を比喩していることはピンとくるでしょうか。
さて、帝から宮中に来てほしいと言われた桐壺更衣の母君と若宮ですがどうするでしょうか。
続きをお楽しみに。
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