源氏物語~桐壺~(9)


母君は、

「長く生きていることがとてもつらくございまして、

『まだ生きているのか』と長寿を誇る松の木に思われはしないか気恥ずかしく思われるほどですので、

内裏に出入りいたしますようなことは、まして大変に憚られるのです。

畏れ多いお言葉をたびたびいただきながら、私自身は参内を決心することができそうにございません。

若宮は、状況が分かっていらっしゃるのでしょうか、早く参内なさりたいとお気持ちがはやりなさるようなので、

それもまたもっともなこととして、悲しい気持ちで拝見している次第です、

と、内々に私の思っておりますことを上様にお伝えくださいませ。

私は娘に死なれた不吉な身でございますので、

こうして若宮が傍においでになるのも、縁起の悪さに触れさせはしまいかと恐縮でして」などとおっしゃいます。

当の若宮はお休みになっておいででした。

靫負の命婦は、

「私としましては、若宮をこの目で拝見して、こと細かにそのご様子を上様にお伝え申し上げたいのですが、

上様は私の帰りを寝ないでお待ちになっているでしょうから。

夜が更けてしまってもいけませんし」といって帰りを急ぐのでした。

母君は、

「途方に暮れる、堪えがたい心の闇がほんの少しでも晴れるようにお話ししたくございますので、

今度は上様の使いとしてではなく個人的にお立ち寄りくださいね。

数年来、光栄で喜ばしいお使いとしてお立ち寄りくださっていましたのに、

こんな形でお越しいただくことになるとは、本当に残酷な運命ですわ。

娘は、生まれた時から思うところがあって、父親である亡き大納言が、死ぬ間際まで、

『とにかくこの娘を宮仕えさせるという大望を必ずや成し遂げて差し上げよ。

私が死んでも落胆して気弱になってはいけない』と、何度も何度も釘を刺すものですから、

しっかりした後見人もいないのに入内させるのは、かえって良からぬ結果を招くことになるのではとも思いましたが、

ただもう遺言を守ろうと、その思いばかりで出仕させましたところ、

身に余るほどの上様のご愛情が何かと畏れ多いものですから、

低い身分のために軽い扱いを受ける恥を忍んで宮仕えをなさっていたようなのですが、

人様の深い嫉妬を受け、穏やかならぬ、異常なことが次々とその身に襲いかかりまして、

ついにはこんな結果になってしまったものですから、上様の畏れ多いご愛情がかえってつらく思われてなりません。

これも道理とは別の所にある、親ならではの心の闇でして」などと、

最後まで言い切れずむせかえってお泣きになる間に夜も更けてしまいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


はい。

ここまでの主要登場人物を家系図にまとめてみました。

光源氏はまだそういう呼び名がついていないので単に「御子」としてあります。

桐壺更衣の実家に、帝からの使者として靫負命婦が派遣されて対面しているところでしたね。

靫負命婦が内裏に戻るまで一気に書こうかと思ったのですが、長すぎたので分割しました。

 

ちなみに、今回の冒頭で桐壺更衣の母君のセリフを、

「『まだ生きているのか』と長寿を誇る松の木に思われはしないか」

と訳しましたが、原文は「松の思はんこと」です。

これは次の歌からの引用(引き歌)部分なので、それを踏まえた訳をしました。

いかでなほありと知らせじ高砂の松の思はむことも恥づかし
〔どうにかして、まだ自分が生きていることを知らせたくないものよ。『人間のくせにまだ生きているのか』と高砂の松が思っているかも知れないことを考えると、きまりが悪いから〕

詠み人知らずの歌ですが、有名な歌でして、「高砂の松」とは兵庫県の高砂神社にある松です。

では今回はこの辺で。

続きは年明けかしら?

 

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