源氏物語~桐壺~(11)


内裏に戻った靫負の命婦は、

まだお休みになっていらっしゃらなかったわ、としんみりした気持ちで見申し上げました。

帝は、お庭の美しい盛りの草木を御覧になっている様子で、

ひっそりと、奥ゆかしい女房だけを四五人ほど傍に控えさせてお話をなさっているのでした。

最近いつも帝が御覧になっているのは『長恨歌』の屏風絵で、

それは宇多天皇が絵師に描かせ、また伊勢、紀貫之に詠ませなさった歌を添えたものですが、

和歌や漢詩も、似たような内容のものばかりを口癖になさっておいででした。

帝がとても念入りに桐壺様のご実家の様子をお尋ねになると、胸を打たれるようなことを静かにご報告するのでした。

桐壺様の母君からのお返事を御覧になると、

「たいそう畏れ多いお言葉、私としては身の置き所もございません。

しかしこのような仰せごとを頂戴するにつけても途方に暮れ、心が乱れるばかりです。

荒き風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞしづ心なき
〔荒々しい風を防いできた垣根が枯れてしまってからというもの、小萩のことが心配で心が落ち着くことがございません―娘が死んでからというもの、若宮の身の上が心配で心が落ち着きません―〕

などとあり、いくぶん乱雑ではありましたが、悲しみの真っ只中なのだからとお目こぼしなさるようでした。

帝は、気落ちしているようには見られまいとしてお気持ちを静めようとなさいますが、

まったくこらえることがお出来にならず、

桐壺様を初めて御覧になった時からの思い出を掻き集めて様々に思い続けなさり、

「ほんの少し離れているだけでも会いたくて会いたくてどうしようもなくじれったかったのに、

よくもまあこうして月日を過ごしていることよ」とご自分でも驚いていらっしゃいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


今回のお話の中に「宇多天皇が描かせた長恨歌屏風絵」というのが出てきます。

紫式部が生きたのは一条天皇の時代ですが、宇多天皇はそれを遡ること100年ほど前の時代の天皇です。

屏風絵は実在したそうですが、現在残ってはいないようです。

「長恨歌ちょうごんか」とは中国の白居易(白楽天)という詩人が書いた長い詩です。

世界三大美人に数えられる楊貴妃の悲しい運命を歌い上げた詩です。

そもそも、この「桐壺」の巻自体が「長恨歌」を下敷きにしたものとされています。

 

あと、桐壺の更衣の母からの返事に対して「乱りがはし」と出てきます。

「いくぶん乱雑で」と訳しましたが「不作法だ」という訳し方もあるようで。

しかし、どこが不作法なのかが僕にはしっくりきませんでした。

歌の内容を、

桐壺の更衣が死んで、若宮が心配=帝は信用できない

と捉えると、帝に対して失礼ということになるのですが、それは意地悪すぎませんかね。

ちなみに、与謝野晶子は「歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが」と訳しています。

瀬戸内寂聴は「帝を無視したように、取り乱しているのですが」と訳しています。

まあ、人それぞれですな。笑

ちなみに、この歌は帝から贈られた歌、

「宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」(参照

に対する返歌になっていて、帝の歌に詠まれていた言葉を用いたものとなっています。

 

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