「まなぶ」という言葉は、もともと「まねぶ」という言葉からきたものだといわれる。
「まねぶ」という言葉は、「真似する」というのが原義。
つまり、人がすることを真似した結果、会得・体得するのが「まなぶ」ということなのだ。
もちろん、広く「過去の経験からまなぶ」ということもあるだろうが、言葉としては上記のようになる。
予備校で教えていて、メキメキと力をつけていく子が毎年いる。
それは例外なく、教わったことを忠実に再現しようとする子だ。
つまり「まなぶ」の根底にある「真似する姿勢」が身についているのである。
一方、毎年必ず「自分のやり方」に執着する子もいる。
それでも出来るようになる子というのも中にはいるが、
それは地力があり、予備校に通わなくてもできるようになっただろうと思われるような子である。
だから多くの場合、「言われたことをやりなさい」「言われたとおりにやりなさい」という指導に力を入れることになる。
言われたとおりにやって、それでも出来なければ、また次の手を考えることになる。
言われたとおりにやらないで出来るようにならないのでは、次の手を打ちようがない。
従って「言われたとおりにやりなさい」というところから抜け出せない。
例えるなら、「体の調子が悪くて病院に行き、処方された薬を飲むか飲まないか」ということだと思う。
処方された薬を飲んでも治らなければ、薬を変えるか別の療法を試みるか、ということになるだろう。
ところが、処方された薬を飲まず、「治らないんですけど」と言われてもお医者さんは困るだろう。
「まず出された薬を飲めよ」ということになるはずだ。
勉強も同じ。
まず、言われたことを実践して欲しい。
「予習と復習がリンクする」のが望ましい状態だ。
予習をしながら、「ここはこう考える、って習ったな」と実践する。
あるいは「どう考えるんだっけ?」とノートを見直す。
最悪でも「前に習ったことはなかったかな」と振り返ってみる。
勉強しているつもりなのに力がつかない人は、そういうことをやれているかどうか確認してほしい。
毎週新しい知識を習う、ということは、また病院で例えれば「毎週新しい薬を出される」ということか。
言われたとおりにちゃんと薬を飲まないで、あとでまとめて飲んだらどうなるんでしょうね?
ヘタをすれば命に関わるかもしれない。(もちろん、現実には毎週毎週新しい薬をだされることはないだろう。)
命に関わらないというだけで、勉強も同じ。
後でまとめてやったって効果は期待できない。
復習をするのは大事なことだが、復習をさせるために教えているのではない。
次回の予習がより良いものになるために教えているのだ。
予習をする前に復習が終わっていなければ意味はない。
復習が終わった上で予習をやったとしても、復習で得たはずの知識が予習に活かされていなければ意味はない。
復習は復習でちゃんとやるとして、「予習をしながらも復習をする」くらいの心構えで勉強に取り組んで欲しい。
それがいわゆる「まなぶ=学習」というやつだ。