源氏物語~賢木~(2)

九月七日だったので、光る君は「本当に、今日明日にも出立なさってしまうだろうか」とお思いになっておりました。

御息所の方も心が落ち着かず、「立ったままでも良いのでお会いしたいと存じます」と度々光る君からお手紙があったので、お悩みになりつつも、「いやもう、会わないまま終わりにしよう」とはお思いになるのですが、それではあまりにも腰が引けすぎているようにも感じられて、「簾越しの対面くらいは…」と、人知れず光る君の訪れをお待ち申し上げていらっしゃいました。

遙かな野原を掻き分けるようにしながらやって来て野宮へとお入りになると、たいそう物寂しい雰囲気が漂っています。

秋の草花はみなしおれで枯れかけて、茅の生えた庭では虫がかすれた声で鳴いているところに、松に吹きつける風が寒々しく音を立てており、それとも聞き分けがつかない中で、楽器の音色が邸内から途切れ途切れに聞こえてくるのが非常に優美に思われました。

親しい先払いだけを十数人と随身には大袈裟な恰好はさせず、光る君自身もたいそう人目を忍んでいらっしゃいますが、格別に身なりを整えていらっしゃるのが非常に素晴らしくお見えになるので、お供の風流人たちは、場所柄も加わって、身にしみる思いをしていました。

光る君のお心にも、「どうして今までここを通い所にしなかったのだろう」と、過ぎてしまったことを後悔なさらずにいられないようです。

頼りなさげな小柴垣で囲われ、板葺き屋根の建物がいくつもあり、いかにも仮の住まいという佇まいでした。

黒木の鳥居などはさすがに神々しく見渡されて、気兼ねしてしまう雰囲気が漂っており、神官たちがあちらこちらで咳払いをしながら話をしている様子なども、やはり外界とは趣が違います。

見張り小屋のかがり火がかすかに明るく、人の気配は少なくしんみりとして、世間から隔離されたこのような所で、物思いに沈みながら長い月日を過ごしてきた様子を想像なさると、胸が締め付けられ、気の毒なことをしたように思えて心苦しい光る君でした。

※雰囲気を重んじた現代語訳です。


前回、伊勢神宮へ下ることを決意した六条御息所でしたが、内心では密かに光る君との再会を望んでいるようです。

そして光る君の方はお忍びで六条御息所のいる野宮にやってきました。

源氏小鏡~賢木~

小柴垣の切れ目に黒木の鳥居があり、物珍しそうに見上げる光源氏とお供の姿が描かれています。

野宮は伊勢神宮に入る斎宮が身を清める神聖な場所なので、逢瀬のために訪れるのはさすがに少しだけ気が引けている光源氏ですが、もちろんだからといって引き返すわけはありません。笑

次回、光源氏は六条御息所に会うため突入していきます。

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