源氏物語~葵~(37)

これまで、紫の姫君の存在について世の人もどこの誰だか知らずにいたので、「このままでは低い身分の女であるかのようだな。まずは父宮にお知らせしよう」とお思いになっていました。

成人の儀のことも、広く大勢の人にお話しにはなりませんでしたが、並々ならぬご準備をなさる御心づもりは滅多にないほどのものでした。

しかし、若紫の君ご本人は光る君のことを嫌いなさって、「長年の間すっかり信頼して仲良くしてきた私が馬鹿だったんだわ」と悔しさばかりをお思いになって、目もお合わせになりません。

光る君がふざけて冗談をおっしゃっても、とてもつらそうに思い悩んでいらっしゃり、かつてとは様子が違うようになっていくのを、おかしくも可哀想にもお思いになって、

「長年あなたを愛してきた甲斐もなく、私に心を許してくれないのがつらいことです」

と恨み言を申し上げなさるうちに、年も明けました。

元日は例年通り、まず桐壺院、それから帝と春宮に年始の御挨拶のために参上し、その後、左大臣家にも参上なさいました。

左大臣は、新年を迎えてもなお葵の上のことをお話しになっては、寂しく悲しく思っていらっしゃったところで、そこに光る君がお出ましになったものですから、何とか堪えようとなさるのですが、それも難しいようです。

光る君は御年が加わったためか、厳かな雰囲気をまといなさって、以前にもまして美しく立派にお見えになります。

亡き葵の上の御部屋にお入りになると、女房たちは珍しそうに見申し上げると、堪えきれずに涙を流しました。

若君をご覧になると、随分と成長して、にこにことよく笑っていらっしゃるのもしみじみ愛しく感じられます。

目元も口元も春宮にそっくりなので、「この子を見た人は怪しむかもしれないな」とお思いになる光る君でした。

室内の装飾などは以前と変わっていません。

衣桁にも以前と変わらず、光る君のための新しい御装束が掛けられていましたが、葵の上のものが並んでいないのに寂寥感が漂っていました。

大宮の御伝言として、

「元日ばかりはと悲しみを堪えていたのですが、このようにお越しくださり、かえって…」

などという挨拶に続き、

「かねてよりの習慣通り、年始にあわせて新調した御装束も、この数ヶ月の間、涙で塞がった私の目で仕立てたものですから、冴えない色調だとお見えになるかもしれない、とは思うのですが、今日だけはどうかこれをお召しになってください」

といって、更に、たいそう心をこめて仕立てなさった衣装を献上なさるのでした。

どうしても今日お召しになってほしいとお思いになった下襲は、色も織り方もこの世のものとは思えないほど格別に素晴らしかったので、お気持ちを裏切ることはできまい、と思ってお着替えになりました。

「もし、今日来ていなかったら落胆なさっただろうな」と想像すると、胸が締め付けられるようでした。

お返事には、

「新しい春が来たか、とます御覧いただきたくて参上しましたが、亡き妻が思い出されることばかり多くて何も申し上げることができません。

あまた年今日あらためし色ごろもきては涙ぞふる心地する
〔毎年こちらにやって来て妻とともに新年を過ごしてきましたが、今日彩色美しい衣に一人着替えてみると、涙がこぼれる心地がすることです〕

心を静めることができません」

と申し上げなさいました。

お返事には、

新しき年ともいはずふるものはふりぬる人の涙なりけり
〔新年の目出度さも何も関係なく降るものは、年老いた母が亡き娘を思って流す涙でございます〕

とありました。

この悲痛な思い、並大抵のものではございません。

※雰囲気を重んじた現代語訳です。


大宮は葵の上の母親、左大臣の正妻、桐壺院の妹にあたる人でしたが、この巻の最後は光源氏と大宮との贈答歌で締めくくられました。

そう、これでやっと葵の巻が終了したのです。

長かった。疲れた。辛気くさかった。笑

これまでで最も進みが遅い巻となりましたが、残念なことに次巻「賢木」もまた長い巻なのです。
(TωT)ヤダヨー

何はともあれ、今夜はやっと葵から解放された祝杯です。

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