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筆者プロフィール
職 業:一色塾古文講師
趣 味:音楽鑑賞
前 世:清少納言
信 仰:松原夏海
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京都旅行記(2018GW)
【5/01】
朝6時前に目が覚めて、7時前に出発しました。
最初の目的地である広隆寺についたのは午後3時ごろ。
太秦は映画村の方が有名かもしれませんが、映画村はパス。
広隆寺は何と言っても国宝「弥勒菩薩半跏思惟像」が有名。
日本史の教科書に必ず載っています。
霊宝殿で観ることができまして、思っていたより小さいものでしたが、「おおお~!」という感じでした。
少し離れた所からしか観られないようになっているのが残念。
半跏思惟像以上に感激したのが「不空羂索観音像」でした。
広隆寺は霊宝殿の他には開放しているところがなく、人も少なかったです。
1枚目:上宮王院太子殿/2枚目:講堂
広隆寺は『枕草子』に、
八月つごもり、太秦に詣づとて見れば、穂に出でたる田を、人いとおほく見さわぐは、稲刈るなりけり。
→八月末に、太秦(広隆寺)に参詣するといって見ると、穂が出ている田を、大勢の人が見て騒いでいるのは、稲を刈るのであった。
と出てくるので、清少納言もお詣りしていたことが分かっています。
さて、広隆寺を後にして次は妙心寺へ。
広大な敷地で、地元住民の方々が境内を日常生活の中で通行しているようです。
あまりに広大なので、退蔵院だけ拝観してきました。
1・2枚目は本堂の襖絵ですが、ヤギの絵は珍しいと思いました。
3枚目は本堂横にある「元信の庭」で、室町時代の画家・狩野元信が作ったのだそうです。
本堂には「瓢鮎図ひょうねんず」という、日本最古の水墨画の模写が掛けられていました。
ヒョウタンとナマズの絵ですが、禅問答の問いかけらしいです。
そのヒョウタンとナマズをモチーフとした南庭の門の飾り彫刻が4枚目。
5・6枚目は南底の陽の庭と陰の庭。
そして、南庭にある余香苑。
今回も2泊2日ですが、2泊とも妙心寺に隣接する花園会館というホテルにしました。
上の妙心寺のリンクにも出ていると思います。
【5/02】
朝8時前にホテルを出て車で嵐山へ。
車折神社の近くのコインパーキングに車を駐めて、歩け歩け大会。
まずは野宮神社へ。
『源氏物語』の「賢木」巻で、六条御息所の娘が新斎宮になることが決まり、1年間身を清めるために籠もった地です。
娘と共に野宮に籠もる六条御息所を訪ねた光源氏一行の絵です。
黒木の鳥居を珍しそうに眺めていますね。
『源氏物語』はフィクションですが、斎宮として伊勢神宮に赴任する前に野宮に籠もったのは史実です。
1枚目は黒木の鳥居、2枚目は拝殿。
3・4枚目は「じゅうたん苔」。
黒木の鳥居は独特の存在感があって珍しく拝見しました。
苔の絨毯もまたしっとりとした風情。
ここが神社になったのは室町時代らしいですが、都を離れた地にひっそりと簡素な佇まいに六条御息所の寂しさを見た気がします。
小さな神社ですが、朝からそこそこの人が訪れていました。
さて、次は祇王寺。
『平家物語』に登場する白拍子・祇王が、平清盛に捨てられてこの地で出家して隠棲しました。
野宮神社以上にひっそりして寂寥感がハンパなかったです。
大寺院とはまったく違う風情がありますね。
貴族の信仰を集めた寺院も立派で良いですが、いかにも世捨て人が暮らしていたという感じのこぢんまりした山寺には独特の良さがあります。
祇王(と妹と母親)のお墓と、平清盛の供養塔もありました。
続いて化野念仏寺へ。
『徒然草』第七段に、
あだし野の露消ゆる時なく、鳥辺山の煙立ちさらでのみ住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。
→本来はかないものである露が化野では消えることがなく、同じく本来はかない煙が鳥辺山では消え去らずに立ち上り続けているように、もし人がいついつまでも生き続けていけるものであったなら、どんなにか物の情趣もないことだろう。
と出てきます。
あだし野(化野)も鳥辺山も埋葬地です。
そんな化野念仏寺は本当に本気の墓地です。
1枚目は入口の階段、2枚目は西院の河原。
賽の河原を思わせる名称からして一種独特の雰囲気です。
西院の河原は中に入っての写真撮影は禁止です。
外からも撮るのは憚られましたが、お祈りしてから一枚だけ失礼して撮らせていただきました。
そして本堂などは撮り損ねました。
もうひと歩きして大覚寺。
南北朝時代、持明院統と大覚寺統が対立して~という歴史に登場する大覚寺。
門跡寺院であっただけに大きなお寺です。
大覚寺は古典文学的に登場することは少ないお寺ですが、せっかくなのでダアーッと拝観しました。
5枚目は後宇多法皇が使用された神輿だそうです。
宸殿から見える庭には、「右近の橘」と「左近の梅」が植えられていました(7・8枚目)。
古典の参考書を見ると、内裏の紫宸殿の庭には「左近の桜」と記されています。
元来は梅だったのが、いつからか桜に植え替えられたのだそうです。
大覚寺はもともと嵯峨天皇の離宮だった場所なので、このようなものがあるのでしょう。
6・7枚目はどこの間だったか忘れましたが、鳥獣戯画のようなウサギの絵が可愛らしかったので撮っておきました。
9・10枚目はたぶん五大堂の天井だったと思います。
さて、大覚寺の隣の大沢池へ移動。
どちらかというと、大沢池の方が古典文学的には重要です。
滝の音は絶えて久しくなりぬれどなこそ流れてなほ聞こえけれ
→滝の水は途絶えて長い時間が経過しているが、“なこその滝”というその名は流布して今に伝わっていることだ。
これは藤原公任が詠んだ歌で、百人一首にも採られていますが、この「なこその滝」があったのが大沢池なんです。
1,000年も前の公任の時代にすでに涸れていたのですから、今やこんな感じです。
そして、紀友則の歌碑。
一本と思ひし菊を大澤の池の底にも誰か植ゑけむ
→一本だと思った菊が大沢池の底にもあるように見えるのは誰が植えたのだろうか。
水面に映った菊を詠んでおり、『古今和歌集』に収められています。
歌碑の上部には大きな字で「菊の島」と書かれているように見えます。
大沢池には菊ヶ島という島が作られているので、実際の菊の花の他に菊ヶ島も意識された歌碑のようです。
紀友則が菊ヶ島のことも念頭に置いて歌を詠んだのかは知りません。
かなり疲れたのと、雨が降ってきたので、嵐山の駅までタクシーで帰ることにしました。
かなり歩きましたよ。
もちろん矢印のような直進じゃないですからね。
嵐山では渡月橋も一応往復しておきました。笑
さて、お昼ご飯を食べて、車で雲林院へ。
大覚寺で乗ったタクシーの運転手さんも知らなかった雲林院は一般的にはマニアックらしいです。
さいつ頃、雲林院の菩提講に詣でて侍りしかば、例人よりはこよなう年老ひ、うたてげなる翁二人、嫗といき合ひて同じ所にゐるめり。
→先だって、雲林院の菩提講を拝聴しに参詣しましたところ、普通の人よりも格段に年老いて異様な感じのするお爺さん二人が、お婆さんと出会って同じ所に座るようです。
これは平安時代の歴史物語『大鏡』の冒頭部分でして、古典文学的には聖地なのです。
非常にこぢんまりした小さなお寺でした。
平安時代には紫野に広大な敷地を占めていたらしいです。
でなければ、『大鏡』の舞台設定とならないでしょう。
説明書きによると、淳和天皇の離宮だった紫野院を、後に僧正遍昭がお寺にしたのだとか。
そこで、僧正遍昭の歌碑が境内にありました(3枚目)。
あまつ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ
→天を吹く風よ、雲の中の通り道を閉ざしておくれ。天女の姿をもうしばらく地上にとどめておきたいのだよ。
雲林院から少し東に離れた所に、紫式部と小野篁のお墓がありました。
まだ少し時間があったので下鴨神社に移動。
下鴨神社と糺の森を一回り。
下鴨神社は平安京の鬼門を守護してきた神社です。
上賀茂神社と一対の存在ですが、上賀茂神社の位置は平安京の鬼門とはズレています。
ここはまた別の機会にじっくりお詣りしたいと思います。
5/03の流鏑馬に合わせるのが良いかしら?
5/03に下鴨神社で流鏑馬を見て、5/05に上賀茂神社で競馬を見て、というのがベストかも。
さて、2日目はこれで終了してホテルに戻りました。
【5/03】
少しゆっくり朝寝して、最後に廬山寺をお詣りしてから帰ることにしました。
下鴨神社のすぐ近くです。笑
廬山寺は紫式部の邸宅があった所らしく、最後の2枚の石には「紫式部邸宅址」と彫られているのが見えるでしょうか?
この小さな庭にも、「源氏庭」と名付けられていました。
いつまでも見ていられる感じの涼やかな風情がありました。
そして、紫式部とその娘・大弐三位の歌碑も。
大弐三位
有馬山ゐなのささはら風ふけばいでそよ人を忘れやはする
→有馬山の猪名の笹原に風が吹けば素直に靡いてそよぐわけですが、さあ、まさにそれですよ。私の方があなたを忘れることなどあるでしょうか。あなたが私を愛してくださるならば、私はいつだってそよとあなたに靡くのです。
紫式部
めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月哉
→本当に巡りあって見たのだろうか、はっきりそれだと分からないうちに雲に隠れてしまった夜の月だなあ。それと同じように、本当に巡り会って顔を合わせたのか、分からなくなってしまうほど、あっというまに帰ってしまいましたね。
廬山寺の裏手にはひっそりと天皇陵がありました。
最後に日本酒を買おうとぶらぶらしていると、四条大橋のあたりに出雲阿国像が。
これで今回の参詣を終え、帰路につきました。
往路は海老名で少し交通量が多かったくらいで渋滞は無かったのですが、帰りは亀山JCTの渋滞にはまりました。
しかし新道路建設中で、この名物渋滞も解消される日は近い??!
あと、長篠設楽原のPAは、下りの充実ぶりに比べて上りはしょぼいですね。
下りは織田・徳川連合軍、上りは武田(勝頼)軍というコンセプトですが。
今回のドライブで走った距離は往復955.4km、消費した燃料は33.85Lでした。
燃費を計算すると28.2km/L。
30出すためには、ごちゃごちゃと狭い京都市内を走ったらだめですね。
以上、京都旅行記(2018GW)でした。
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