大鏡~菅原道真~(2)


~前回のあらすじ~
1)醍醐天皇の御代、左大臣時平と右大臣道真が国政を取り仕切っていたが、道真の方が学問があり帝からの信も厚かった。内心面白くない時平だったが、ちょうど道真に不都合なことが起こり、道真は左遷され、大宰府に流されるのだった。

というわけで、道真の続きでございます。

いよいよ都を離れ、九州へと下っていくのでした。


【現代語訳】

この道真公には、子どもが大勢いらっしゃったが、

ご息女は婿を取り、ご子息はそれぞれの程度にあわせて官位もおありになったが、

彼らもみな方々に流されなさって悲しいことだったが、

幼くいらっしゃった男君、姫君たちは父を恋い慕って泣いていらっしゃったので、

「小さい子らはまあよかろう」と、朝廷もお許しになって父に同行させたのだよ。

帝の御処分はきわめて非情でいらっしゃったので、ご子息達を同じ方面にはお流しにならなかった。

道真公はあれやこれやと、とても悲しくお思いになって、御庭の梅の花をご覧になって、

こちふかば・・・〔東から風が吹くならば、大宰府まで香りをとどけておくれ、我が邸の梅の花よ。主人がいなくなっても春を忘れないでくれよ〕

また、亭子の帝こと宇多法皇に申し上げなさって、

ながれゆく・・・〔流されてゆく私はまるで水に浮かぶごみくずのようになりさがってしまいました。我が君よ、柵となって私をとめてください〕

このように無実の罪をきせられなさったことを大変にお嘆きになって、そのまま山崎の地で出家なさって、

都が遠くなるにつれて、しみじみと心細くお思いになって、

きみがすむ・・・〔愛しい妻よ、あなたが暮らす邸の梢を、気がすむまで、隠れて見えなくなるまで振り返って見たことですよ〕


「こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」は有名すぎるほど有名ですね。

この梅の木は主人である道真を慕って飛んでいき大宰府の地に根付いた、という「飛梅」伝説も存在します。

さて、本文では初めて出てきた「亭子の帝」こと宇多法皇ですが、

宇多法皇と道真の関係については(1)の方で既に書いたとおりです。

宇多天皇が在位中に、道真の進言によって遣唐使の廃止が決定された、

などというのは日本史で習う有名な出来事ですね。

894年のことなので、「白紙(894)に戻そう遣唐使」なんていうのも有名な語呂合わせだと思います。

宇多天皇の信任も厚かった道真ですが、

次の醍醐天皇の時代に、天皇を退位させて「斉世親王」を即位させようとしている、という噂が流れます。

斉世(ときよ)親王は宇多天皇の子ですが、道真の娘を正妻としている人物です。

この噂によって醍醐天皇の怒りを買った道真は左遷されてしまうわけですが、これが昨日も紹介した「昌泰の変」です。

宇多法皇は道真が左遷されると決定されたとき、

それを聞きつけて宮中に駆けつけたのですが、中に入れてもらえなかったと言われています。

それほど宇多法皇と親しい関係だった道真なので、宇多法皇にもしっかりと和歌を送っていますね。

では最後に原文と語釈をつけておきます。


【原文】
このおとど、子どもあまたおはせしに、
女君達はむこどり、男君達はみな、ほどほどにつけて位どもおはせしを、
それもみなかたがたに流され給ひて悲しきに、
おさなくおはしける男君、女君達したひ泣きておはしければ、
「ちひさきはあへなん」と、おほやけも許させ給ひしぞかし。
帝の御おきてきはめてあやにくにおはしませば、この御子どもを同じ方につかはさざりけり。
方々に、いと悲しくおぼしめして、御前の梅花を御覧じて、

こちふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな

また、亭子の帝に聞こえさせ給ふ、

流れゆくわれは水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ

なきことによりかく罪せられ給ふをかしこく思し嘆きて、やがて山崎にて出家せしめ給ひて、
都遠くなるままに、あはれに心細く思されて、

きみがすむ宿の梢をゆくゆくとかくるるまでも返り見しはや


【語釈】
◯「あへなん」
動詞「敢ふ(ハ・下二)」+強意の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む(ん)」で、「まあよしとしよう/差し支えないだろう」という程度の意味になる。

◯「おほやけ」
重要語で、①天皇、②朝廷、の意味がある。ここでは②。

◯「おきて」
現代語にも残っている語だが、元々は動詞「掟つ…①取り決める②指図する」の連用形が名詞化したもの。①とりきめ、②規則、③処置、などの意味を持つ。ここでは③。

◯「あやにくに」
重要語、形容動詞「あやにくなり」連用形。①意地悪だ、無慈悲だ、②不都合だ、の意味がある。ここでは①。

◯「つかはさざりけり」
重要語「つかはす」は尊敬語の時と、敬意が含まれない時とがある。ここでは尊敬語。

◯「こち」
「東風」と書いて「こち」と読む。

◯「亭子の帝」読み:ていじのみかど
退位した後、居住していた邸宅を「亭子院」といったので、宇多天皇(法皇)のことを「亭子の帝」という。

◯「なきこと」
「あり」が「存在すること」を意味するのだから、反意語の「なし」は「存在しないこと」を意味する。「存在しないことで罪を負った」とは、つまり「無実の罪を負った」ということ。

◯「山崎」
京都府にある地名。戦国時代、羽柴秀吉と明智光秀が戦った地として名高い。

◯「きみがすむ」
「きみ」はここでは道真の妻を指す、と考えるのが一般的。『拾遺抄』という歌集の詞書きには「妻へ送った歌」と書かれているという。ただ、宇多法皇を指す、とする説もある。

 

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