源氏物語~桐壺~(7)


むなしく日は過ぎていきますが、帝は亡き桐壺様の供養にも逐一弔問の使者をお出しになります。

時が経つにつれて日増しにどうしようもなく悲しく思われなさるので、

お后様たちと夜を過ごすこともすっかり途絶えなさり、ただ涙に濡れて夜を明かしなさるので、

そのお姿を拝見する人までも涙がちな秋なのでした。

「死んだ後まで人をいらいらさせるのね。随分なご寵愛だわ」と、

弘徽殿の女御様は依然として冷酷におっしゃっておりました。

帝はその弘徽殿の女御の第一皇子を見申し上げなさるにつけても、

桐壺様のご実家においでになる若宮ばかり恋しく思い出しなさって、

親しい女房や御乳母などを派遣なさっては若君の様子をお聞きになります。

台風めいた強い風が吹いて急に肌寒くなった夕暮れ時、

いつも以上に若宮を強く思い出しなさって、靫負の命婦という者をお遣わしになりました。

風情ある夕月夜に送り出しなさると、帝はそのまま物思いに沈んでいらっしゃいました。

このような折は、いつもなら管絃の宴などを催しなさるのですが、

亡き桐壺様は格別すぐれた音色に鳴らす琴も、ちょっと申し上げる他愛ない言葉さえも他の方々とは別格で、

その様子や顔立ちが脳裏に焼き付いて離れずにいらっしゃるのですが、

それでもやはり現実がもたらす暗い心の闇の前ではたいした意味を持たないのでした。

さて、靫負の命婦は桐壺様のご実家に到着して門から邸の中に入るやいなや、

その雰囲気に胸を打たれるのでした。

桐壺様のお母上は夫を亡くしておりましたが、娘一人を大事にお育てになるために、

あれこれ綺麗に手入れをして感じよく生活していらっしゃったのですが、

娘を亡くした失意のどん底に深く沈んでいらっしゃるうちに、

御庭の草も背高く伸び、強風によってますます荒れてしまった感じがして、

月の光だけがはびこっている蔓草も構わずに差し込んできます。

靫負の命婦を寝殿の南面に下ろして迎え入れましたが、

桐壺様の母君も胸がつまってなかなかお話しできずにいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


第一皇子とその母親が出てきたのはけっこう前でしたね。(桐壺-2

その時点では母親の殿舎が明らかになっていませんでしたが、ここで「弘徽殿」(こきでん)と明示されました。

前にも載せた内裏図ですが、弘徽殿をで囲みました。

弘徽殿は清涼殿からほど近く、最高ランクの方が住みます。

それこそ中宮・皇后・女御などですが、前にも書いた通り、この帝の正妻は弘徽殿の「女御」です。

これはなかなか強烈なキャラですね。

我が愛しの松原夏海ちゃんに、この弘徽殿の女御か、もしくは明石の君をやってもらいたいと思っています。

 

靫負の命婦(ゆげいのみょうぶ)は「父兄や夫が《靫負の尉》である五位以上の女官」だそうです。

命婦は「内命婦」(ないみょうぶ)と「外命婦」(げみょうぶ)に分かれます。

いずれも宮中への出仕を許された女官ですが、本人が五位以上=内命婦、五位以上の夫の妻=外命婦、とのことです。

また、特に天皇のそば近くにいて用を勤めた命婦を「上の命婦」というそうです。

靫負の命婦は、内命婦でかつ上の命婦ということになりそうです。

 

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