枕草子~五月御精進のころ~(10)


~前回までのあらすじ~

1)五月、雨の日が続いてすることもないのでホトトギスの鳴き声でも聞きに行こう、と出かけることにしまちた。

2)明順さんの家に寄ってホトトギスを聞いて、それからお米を挽く所を見せてもらいまちた。

3)明順さん、お食事を出してくれまちた。でも雨が降ってきたので急いで帰ることになりまちた。

4)帰る途中、卯の花がたくさん咲いていたので車にたくさんさしまちた。せっかくなので誰かに見せたいと思って、藤原公信を呼んでみまちた。

5)公信は待たずに宮中めざしてまっしぐらに帰りまちたが、公信が追いついて話しかけてきまちた。あれこれ話しているうちに雨が本降りになってきまちた。

6)公信も中宮様のもとに来るよう誘ったけど、服装がイマイチということで帰っていきまちた。

7)中宮様のもとに参上すると、歌を詠んでいなかったことで叱られてしまいまちた。

8)公信から届いた歌の返歌をしようとしたけれど、雷やらなんやらで慌ただしくて紛れてしまいまちた。どうやら歌に縁のない日のようでちゅ。

9)和歌を詠むのが嫌だということを切々と訴えたところ、中宮様から和歌は詠まなくてもいいという許可が出まちた。

 

長らく続いてきましたが、いよいよ今回で最後です。

前回の最後で内大臣伊周(定子ちゃんの兄)が登場したので、今回はその伊周との絡みです。

庚申の徹夜をするので、眠気覚ましのために伊周は定子ちゃんのもとにやってきたのですね。


【原文】
夜うちふくるほどに、題出だして、女房に歌よませ給ふ。
みなけしきばみゆるがし出だすも、宮の御前近く候ひて、
物啓しなど、ことごとをのみ言ふを、
おとど御覧じて、「など歌は詠までむげに離れゐたる。題取れ」とてたまふを、
「さることうけたまはりて、歌よみはべるまじうなりてはべれば、思ひかけはべらず」と申す。
「ことやうなる事。まことにさる事やははべる。などかさは許させ給ふ。
いとあるまじき事なり。
よし、こと時は知らず、今宵はよめ」など責めさせ給へど、け清う聞きも入れで候ふに、
皆人々よみ出だして、よしあしなど定めらるるほどに、
いささかなる御文を書きて、投げ給はせたり。見れば、

元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる

とあるを見るに、をかしき事ぞたぐひなきや。
いみじう笑へば、「何事ぞ何事ぞ」とおとども問ひ給ふ。

「その人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし

つつむ事候はずは、千の歌なりと、これよりなむ出でまうで来まし」と啓しつ。


【語釈】
◯「けしきばみゆるがし出だす」
「~ばむ」は「~の性質を帯びる」ということ。現代語では「黄ばむ」「汗ばむ」などの言い方でよく使われる。「気色ばむ」は「様子が表に現れる/思いを顔色に表す」という意味。「ゆるがしいだす」は「苦心して作り出す」という意味。

◯「さることうけたまはりて」
訳は「そのようなことをお聞きして/お受けして」ということだが、要するに前回の内容で中宮様から歌は詠まなくていいという許しを得たことを言っている。


【現代語訳】
夜が更けるころに、伊周様は題を出して女房に歌を詠ませなさったわ。
みな顔をしかめながら苦心して歌を作り出すけれど、
私は中宮様の近くに控えて、お話を申し上げたり、歌と関係のないことばかり言うのを、
内大臣様がご覧になって、「なぜ歌を詠まずにひどく離れて座っているのだ。題を取れ」といって題をくださるけれど、
「中宮様のお許しを得て、歌は読まなくてよいことになっていますので、詠む気はありません」と申し上げたの。
「おかしなことだ。本当にそんなことがあったのですか。なぜそんなことをお許しになったのですか。
まったくもってあってはならないことだ。
よし、他の時は知らんが、今夜は詠め」などとお責めになるが、私はきっぱりと聞き入れもせずに中宮様にお仕えして、
みんなが歌を披露して、評価が決められている時に、
中宮様がちょっとしたお手紙を書いて、私に投げてくださったの。見ると、

元輔が…〔歌人として名高い、あの清原元輔の子であるあなたに限って、今日の歌会では仲間はずれなのね〕

とあるのを見て、面白いことといったらもう最高!
私が大爆笑すると、「何だ何だ」と内大臣様もお尋ねになったの。

「その人の…〔その元輔の子であると言われることのない身だったら、今夜の歌会では真っ先に詠んだでしょう〕

遠慮することがないようでしたら、千首の歌だって私の口から出てくるでしょう」と申し上げたわ。


はい、これでおしまいです。

最後は、中宮様につり出される形で歌を詠みましたね、清少納言ちゃん。

前回も連歌という形で中宮様と歌は詠んでいますが。

伊周に対してはけっこう強気ですね、清少納言ちゃん。

これは、この話の冒頭で語られている通り中宮職の一角に中宮様が暮らしていた時のことです。

中宮職というのは、中宮様に使える事務方の役所です。

幽霊が出るという噂もあったところだそうで、中宮様が住む所としてふさわしくありません。

中宮定子最大の後ろ盾であった関白藤原道隆の死後、定子はたびたびここを居所として与えられています。

読んでいると楽しげな雰囲気に思えますが、実は道隆が死んだ後なんですね。

多分に空元気なところがあったのだろうと思います。

にしても、「やっと終わった」というのが本音です(笑)

 

枕草子~五月御精進のころ~(9)

 

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