源氏物語~帚木~(19)


「さてまた同じ頃、私が通っておりました女性は優れた人柄で、本当に風情があり、

歌を詠んだり手紙を走り書きしたりしても、琴をかき鳴らす音も、すべて素晴らしく見聞きしておりました。

容姿も無難でございましたので、

例の嫉妬深い女を常の通い所として、時々こっそりと会っておりました時分は大変なお気に入りでした。

しかしこの嫉妬深い女が死んでからはどうしたものでしょう。

死んだ女については気の毒なものの、そうなってしまったものは仕方がないので、

しばしば通い続けていくと、ちょっと目を背けたくなるほど艶やかで風流を気取っていて気に入らない所があり、

どうにも信用できず、たまにしか顔を見せなくなりましたが、その頃、女には密かに愛しあう男がいたらしいのです。

十月頃の月が美しかった夜、内裏を出ましたところ、とある殿上人に会ったので私の車に乗せました。

私は大納言殿の家に泊めていただこうと思っていたのですが、ふとこの人がこう言ったのです。

『今夜私を待っている家が妙に気にかかるのです』と。

先程の女の家というのが、ちょうど通り道なものですから、崩れた土塀から池の水に月影が映っているのが見えて、

月でさえここに宿るのに素通りするのはさすがにもったいない気がして私たちは車を降りました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


諸事情あってご無沙汰してしまいました。

この源氏物語の現代語訳シリーズも再開します。

自分でも忘れかけていましたが、そういえば左馬の頭の長話の続きでしたね。

 

左馬の頭が通うもう一人の女性についてです。

最初はとてもお気に入りだったようですが、邸の「土塀が崩れている」と書かれています。

いいのか?

いーーーーーーーーんです!

土塀と訳しましたが、当時は「築地ついじ/ついひじ」と呼んでいました。

この築地について、清少納言は『枕草子』でこのように書いています。

 

女のひとり住むところは、いたくあばれて築地などもまたからず…さびしげなるこそあはれなれ。

→女が独りで住む所は、ひどく荒れ果てて築地なども完全ではなく所々崩れて…寂しげなのこそしんみりして良い。

 

上のリンク先の画像は土塀に屋根がついていますが、平安時代の築地は屋根がついていなかったそうです。

結果、雨が降るとすぐ崩れたそうで。

また、清少納言が言う「女の一人住み」というのも、完全な一人暮らしのことではありません。

女主人に対して、侍女やら召使いはいるはずです。

同居する夫、または通ってくる夫がいないことを言っているのでしょう。

 

崩れた築地の修繕に手が回らないのが女性らしいか弱さにつながり、しみじみするということだと解釈しています。

築地の崩れから男が覗き見や侵入をするものなので、築地に崩れがないのはガードの堅さにもつながります。

決まった夫もいないのに、男に覗き見も侵入も許さないとはどういう了見なのか、というのもあるかもしれません。

まあ、築地が崩れていなくても門に鍵がかかっていなければ男は勝手に入って除くこともあったようですが。

 

さ、おそらくあと2回で左馬の頭の長話にピリオドが打たれます。

ではまた。

 

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