源氏物語~帚木~(24)


「式部殿こそ面白い話があるだろう。少しずつお話しなさい」と中将の君が責め立てなさいます。

「私のような低い身分の者の話はお聞きになってもつまらないでしょう」と式部の丞は言いましたが、

中将の君が真剣なまなざしで「早くしろ」とお責めになるものですから、

「では何をお話し申し上げましょうか」と式部の丞はあれこれ頭の中で思いを巡らせて、

「まだ私が文章道の学生でございました時分、すぐれた女性と巡り逢いました。

その女は、左馬の頭殿が申し上げなさった中にあったように、

宮中での仕事や行事など公的なことも相談でき、もっと個人的な生活の心構えについても思慮深く、

学問についても生半可な博士ではたちうちできないほどで、まったく私が文句を言うようなことはありませんでした。

いつ知り合ったかといいますと、ある博士のもとに、学問をしに通わせていただいていたころ、

その博士には娘がたくさんいると聞きまして、ちょっとした機会に言い寄ったのでございますが、

それを親の博士が聞きつけて、盃をもってきて『わが二つの道歌うを聞け』と白楽天の婚姻の詩を吟じたのですが、

私としてはそういう気持ちは少しももっておらず、

といって親心に気兼ねして、無下にするわけにもいかずにその女と関係をたもっていたという次第でして、

その時の女というのが、本当に心を打たれるほど私のことを思って世話をし、

寝室でも朝廷で働くのに役立つような教養を教えてくれ、

手紙にしても、とても美しい字の本格的な漢文体で書いてよこしますので、

絶えず通い続け、その女を学問の師として下手くそな漢詩を作るのをちょっと習ったりしたものですから、

今もその恩は忘れてはおりませんが、親しみを覚える妻とするには、

学才のない私にとっては、何だか見苦しい振る舞いなどを見られるのが気恥ずかしく思われてなりませんでした。

まして、光る君や中将の君のような方々にとっては、そのような類いのしっかりとしたお世話など必要ないでしょう。

しかし、つまらなく残念だと思う所はありつつも、私の心をとらえて離さない所もあり、前世からの縁もまたあるようで。

男というのはしょうもない生き物のようです」

と申し上げると、聞いていた方々は続きを言わそうとして、「それから?」「興味深い女だなあ」と勢いづけなさるので、

式部の丞はおだてられていると知りつつ、まんざらでもない様子で鼻をひくひくさせて話を続けるのでした。

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前回、頭の中将の常夏ちゃんの話が終わって、語り手は強引に式部の丞に引き継がれました。

賢すぎる女性は、やはり男も相応に賢くないとつらいものがありますよね。

前世からの縁、というのは今よりも仏教色が強かった当時の社会(貴族社会)の特徴的な考え方です。

「運命の赤い糸」なんかよりも強い響きを感じます。

「多少」と書く間違いが多いと一時期よく取り上げられた、「袖すり合うも多生の縁」ということわざともつながります。

このことわざがいつから存在するのかは知りませんが、

言われ出したころは、現在よりも生々しく実感されていたことでしょうね。

 

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