源氏物語~桐壺~(20)


帝は、光る君の童姿はそのままにしておきたいと思いになるのですが、十二歳で御元服なさいました。

帝はじっとしていられずにあれこれと儀式のお世話なさり、儀式として定まっている以上のことなさいました。

先年の、紫宸殿で行われた春宮の御元服の盛大な儀式にも劣らないように執り行いなさって、

儀式後のあちらこちらでの饗宴などにおいても、

「内蔵寮、穀倉院などが通り一遍のもてなしを準備して不十分なものになってはいけない」

と、取り立ててのご命令があって、贅を尽くして光る君をもてはやし申し上げます。

清涼殿の東庇に東向きに椅子を据え、その前に、光る君のお席と、冠を据える役の大臣のお席がございます。

申の刻に源氏の光る君が儀式に参上なさいました。

少年の髪型であるみずらを結いなさっているお顔立ち、美しさ、そのお姿を変えるのは惜しい気がいたします。

大蔵卿が光る君の御髪を整えてさしあげました。

たいそう美しい御髪を切るのは心苦しく思われて、

帝は「この様子を桐壺が見ていたら・・・」と、亡き人を思い出しなさると耐え難いものがありましたが、

気を強くお持ちになり、どうにか涙をこらえなさるのでした。

光る君が冠をおかぶりになってご休憩所に退きなさり、お召し物を着替えなさって、

清涼殿の東の庭に下り、帝に頭を深く下げて拝礼し申し上げなさる様子に、人々は皆涙を落としなさいました。

まして帝は涙を堪えなさることができるはずもございません。

藤壺様の入内によって亡き桐壺様への未練が紛れなさっていた時のことを、遡って悲しくお思いになるのでした。

このように年若いうちは、元服して髪を結うと見劣りしないだろうかと帝は心配なさったのですが、

驚いたことに美しさが加わり、一段と魅力的でいらっしゃいました。

光る君の冠親である大臣には、正妻の皇女様との間に生まれ育ち、とても大切に育ててきたご令嬢がいまして、

春宮から求婚を受けた時には煩わしくお思いになって固辞した大臣でしたが、

それというのも光る君に差し上げようというお心づもりでいらっしゃったからなのでございました。

帝にもご意向を伺いなさったところ、

「それでは元服の際の世話役もいないようだから、その夜の添い寝にでも」

とお促しになったので、光る君に嫁がせる決心を固めていらっしゃったのです。

光る君が休憩所に御退出なさった後、祝宴が始まり人々がお酒などを召し上がっている時に、

源氏の光る君は親王様たちがお並びになる末席に着座なさいました。

大臣はご自分の娘を嫁がせたい旨をほのめかして申し上げなさいましたが、

何かと気恥ずかしい年ごろで、はっきりとお返事申し上げなさることができずにいる光る君なのでした。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


光源氏が元服の儀を執り行うシーンです。

言うまでもないかもしれませんが、元服は成人の儀です。

少年の髪型は「みずら」といいます。

髪を左右に分け下に垂らして輪を作り耳のあたりで結う髪型です。

元服の際にこのみずらをほどき、髪を頂上に集めて結い直し「髻もとどり」を作ります。

この髻に冠をさしこんで被せます。(加冠)

この時に初めて冠をかぶるので、この元服の儀式のことを「初冠ういこうぶり/ういかぶり」とも言います。

もちろん、冠と言っても西洋の王冠のようなものではありません。笑

歴史ドラマや図でみたことがあるかもしれませんが、こちら参照。

この冠を被せる役は非常に重要だったようです。

関係者の中で最も位の高い人を選んでこの役にあてがったそうです。

光源氏には後ろ盾はいませんので、(おそらく)帝の意向で大臣(左大臣)が選ばれました。

左大臣は右大臣よりも上の位です。

弘徽殿の女御の父親が右大臣でしたね。

しかし、右大臣は春宮の祖父という立場ですから発言力は左大臣と比べてどうだったのでしょうね。

 

また、ここでも春宮の元服が引き合いに出されました。

春宮の時に引けを取らないように指示を出す帝でしたが、大きな違いは元服を行った場所です。

春宮は紫宸殿、光源氏は清涼殿でした。

紫宸殿というのは内裏の正殿で、公式行事の時にしか使われません。

清涼殿は帝が日常を過ごす殿舎です。

さすがに光源氏の元服を紫宸殿で執り行うことは出来ないのでした。

 

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