源氏物語~夕顔~(30)


光る君は耐えがたいほどにお気持ちが暗く、このように怪しげな道を行くにつけても、

昨晩の危険な目に懲り懲りしているので、胸が苦しくおなりになるのですが、

女を失った悲しみはやはりいかんともしがたく、

いまあの女の亡骸を見なければ、もうこの世で見ることはできないのだ、とご自分に言い聞かせ、

いつものように惟光と随身を引き連れてお出かけになるのでした。

道のりは遠く感じられました。

十七日の月が空に浮かび、先導の松明も薄暗い中、鴨川の辺りで鳥辺野の方に目をやった時、

気味の悪さなど気にもならず、ただただお気持ちが乱れつつ東山にご到着なさいました。

辺り一帯が寒々しい雰囲気であるのに加え、

板葺きの家の隣にお堂を建ててお勤めをしている尼の住まいは非常にもの寂しく、しんみりとした雰囲気でした。

お灯明の光が幽かに透けて見えます。その家は右近ひとり泣く声だけがして、

部屋の外では二、三人の法師が話をしつつ、声を立てずに南無阿弥陀仏を唱えております。

宵の勤行もすべて終え、非常にしんみりとした雰囲気でした。

清水寺の方は光がたくさん見えて、人の気配も多くございました。

この尼君の子の大徳が尊い声でお経を読み上げているのに、光る君は枯れるほど涙が溢れなさいます。

家の中にお入りになると、右近は夕顔の女の亡骸から灯火を離して屏風を隔てて泣き伏しておりました。

どんなにつらいことだろう、とご覧になります。

夕顔の亡骸は恐ろしい感じもせず、とてもかわいらしい様子で、生前と少しも変わらない気がしました。

光る君は夕顔の手をお取りになって、

「せめてもう一度声を聞かせてください。どのような因縁からか、しばしあなたに夢中になっていたのに、

私をこの世に置き去りにして悲しませるとは、あんまりです」

と、声も惜しまずに号泣なさいました。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


東山の清水寺は有名です。

前にも書いたかも知れませんが、清水寺の辺りは鳥辺野という葬送の地でした。

葬送の地の近くにお寺さんがあるというのはごく自然な成り行きですね。

平安京を東から出て、鴨川を越えて進んでいくと鳥辺野に行き着きます。

地図参照。

夕顔の葬儀は密かに執り行うため、平安時代当時から信仰を集めていた清水寺ではなく、

ひっそりとした山寺で行われます。

 

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