どうしようもないな、とお嘆きになった光る君は、
「いくそたび君がしじまに負けぬらむものな言ひそといはぬ頼みに
〔しっかりとは数えていませんが、きっと何十回もあなたのだんまりに負けていることでしょう。話しかけないでください、とまでは言われないことをあてにしてきましたが〕
いっそ、きっぱりとお断りください。このように中途半端なのでは苦しくて」
とおっしゃいました。侍従という、女君の御乳母子の軽率な若い女が、
返歌」をお詠みにならないのはとてももどかしくみっともないことだと思い、女君に近寄って申し上げました。
「鐘つきてとぢめむことはさすがにて答へま憂きぞかつはあやなき」
〔何もおっしゃらないでくださいとはさすがに言うことができず、とはいえその一方でお返事もしたくないというのは、我ながらわけがわからないことです〕
とあまり重々しくない若々しい声で、人づてではないかのようなふりをして光る君に申し上げると、
「身分の割には馴れ馴れしいな」と思ってお聞きになりましたが、
「やっと口を開いていただけたと思ったら、逆に私の口がふさがってしまいますね。
言はぬをもいふに勝ると知りながら押しこめたるは苦しかりけり」
〔口に出して言わないのは、口に出して言う以上の思いがあるのだと知ってはおりますが、それでも黙っていらっしゃるのは苦しいことですよ〕
他にも、あれこれと他愛ないことでも、時には面白いように、時には真面目にお話しなさるのですが、
何の甲斐もございません。
「本当に、こんな態度は普通ではない。心根が他の女性とは違うのだろうか」と癪に障り、
そっと襖を開けて中へお入りになってしまいました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
デタ━━━゚(∀)゚━━━!!
光源氏の必殺‘犯罪’!
今回は羨ましくないですけども。
さて、最初の光源氏の歌ですが。
「いくそたび」は漢字で書けば「幾十度」です。
で、「しじま」というのは沈黙のことで、漢字を当てると「無言」ですが、「源氏物語の世界」の注によると、
法華八講の論議の折、鐘を合図に沈黙することを「しじま」と言ったことにもとづく語。
とのことです。なるほどね。
そうなると、その返歌に出てくる「鐘つきてとぢめむことは」の意味も明瞭になります。
「とぢむ」は「閉ぢむ」で、終了させる意でして、上記の注にあるように、法華八講の際、鐘を合図に話を終了させることを言っているのですね。
光源氏の和歌に詠み込まれた「しじま」を上手く利用して返歌をしたことになります。
そして最後の「言はぬをもいふに勝ると知りながら押しこめたるは苦しかりけり」ですが、
これは平安時代の有名な和歌、
心には下ゆく水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる
〔人の目には見えない所でとめどなく湧き出る地下水のように、私の心の底ではあなたへの思いが湧き溢れています。そして、口に出して言うよりも、言わずにいる方がその思いはいっそう強いものなのですよ〕
の内容を下敷きとしたものとなっています。
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