岩陰の苔の上に並んで腰を下ろすと、お酒を召し上がることにしました。
落ちてくる水の様子など、風情ある瀧の景色が近くにございます。
頭の中将は懐から笛を取り出して一心に吹き鳴らしました。
左中弁は扇をちょっとうち鳴らして、「豊浦の寺の西なるや」と謡います。
光る君はひどく辛そうに岩に寄りかかっていらっしゃっていましたが、
それはそれで比べようもないほど美しいお姿で、他の物には目移りなどするはずもないといったご様子でした。
例の篳篥を吹く随身や笙の笛を持たせている風流人などもいます。
僧都は琴を持って出て来て、光る君に、
「どうぞ、一曲お弾きになって、山の鳥を驚かせてみてください」
と真面目に申し上げなさると、
「苦しくてとても耐えがたいのに・・・」
と申し上げつつも、魅力的に掻き鳴らした後、みなを連れだって京へとお帰りになってしまいました。
残念だ、もっといてほしかった、と取るに足らない法師や子どもも涙を流していました。
まして、僧都の家では、年老いた尼君などは、いまだかつてあのように美しいお姿を見たことがなかったので、
「この世のものとも思えませんでした」
と口々に申し上げています。僧都も、
「ああ、何の因果であのように素晴らしい御容姿でありながら、
たいそう煩わしいこの日本国の末世にお生まれになったのだろうかと考えるとまことに悲しいことだ」
といって、涙をぬぐっていらっしゃいました。
例の幼い少女も、幼いながら、素晴らしい人だ、とご覧になって、
「父上の宮様よりも素晴らしくいらっしゃったわ」
とおっしゃいました。それを聞いた女房が、
「ではあのお方の子におなりになりますか」
と申し上げると、頷いて、そうなったらとても良いだろうなあ、とお思いになっていました。
それからというもの、少女は雛遊びをしても絵を描いても、源氏の君を作り出して、
綺麗な衣装を着せて大事そうにしていらっしゃるのでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
光源氏はようやく京へと帰って行きました。
左中弁が「豊浦の寺の西なるや」と謡ったのは、葛城かづらきという催馬楽さいばらの一節だそうです。
さて、この楽器を演奏するシーンは安土桃山~江戸時代の絵師・土佐光則が絵を描いています。
昨年(2015年)宇治の「源氏物語ミュージアム」を訪れた際に買ってきた「源氏絵鑑帖」より。
赤い装束を着ているのが笛(龍笛)を吹く頭の中将です。
左の白い装束を着ているのが、怠そうに岩に寄り掛かっているので光源氏です。
手前のネイビーブルーは刀も装備している随身で、笙の笛を吹いています。
その左は僧都で、琴を光源氏に差し出しているところですね。
一番右の黄色い装束の男は扇も持っていませんが、まあ左中弁でしょう。
では今回はこのへんで。
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