源氏物語~若紫~(24)


源氏物語-若紫

周囲にお仕えする人々はそんな秘密など知るよしもなかったので、

「このようになるまで上様にご報告を申し上げなさらなかったなんて」

と驚きながら申し上げました。

藤壺の宮様は一人お心の中で、宿したのが光る君の子であることを確信していらっしゃるのでした。

藤壺様の湯浴みにも随行するなど、どんなことも親しく間近に見申し上げている、乳母子の弁や王命婦などは、

「奇妙なことだわ」と思っていましたが、お互いにそのことを話し合うべきではないと判断して口には出さずにおりました。

避けることの出来ない御宿命を感じた王命婦はただただ驚くばかりでございました。

内裏には、今まで何の徴候もなかったのに突然ご懐妊の様子が現れたのは物の怪のせいだ、

という風にでもご報告申し上げたのでしょう。

帝が藤壺の宮様をいっそう愛しくお思いになって、使いの者をひっきりなしにお寄越しになることを、

宮様はそら恐ろしく思って、絶え間ない物思いをなさっておりました。

源氏の中将も、普通ではない驚くべき夢をご覧になったので、

夢合わせをする者をお呼びになって尋ねなさったところ、思いも寄らない、とんでもない占いを出しました。

「その中に、意に反する事態が潜んでいて、身を慎まなければならいことになるでしょう」

というので、気が動転した光る君は、

「私自身の夢ではない。人のことを語ったのだ。現実と一致するまで人には話すな」

とおっしゃって、心の中では、どういうことだろうか、と考え続けていらっしゃいました。

その時に、藤壺の宮様がご懐妊なさったことを聞いたので、「もしや、そのことだろうか」と思い当たりなさって、

いっそう言葉の限りを尽くして宮様にお会いしたいと申し入れなさるのですが、

先だっての協力者だった王命婦もさすがにたいそう恐れており、こうなったからにはやっかいさも増していたので、

計略を巡らして密会を手伝うすべなどあるはずもございません。

ほんの一行ほどのお返事がまれにはあったのも、今やまったくなくなってしまったのでございます。

※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。


藤壺女御の懐妊の報が帝にも届きました。

そして光源氏にも。

一般的に、この懐妊は当然ながら帝の御子だと思われているわけです。

しかし、病気になって里下がりしてからの期間(※明記されていない)、つまり帝と最後に夜を過ごした時からの計算が合わないのです。

これは困った。

そこで苦肉の策(といっても常套手段)として「物の怪のせいにしてしまおう大作戦」に出るのでした。

突然、妊娠の生理現象が現れたのは物の怪のしわざである、と。

それにしても外見的にお腹が大きくなるのが遅くないか? と感づいたのは側近中の側近で湯浴みにまで同行する乳母子の弁と王命婦の2人でした。

「乳母子めのとご」とは何でしょう。

貴族階級の女性は子どもが生まれても自分で子育てはしませんでした。

同じく子供を産んだばかりで、授乳できる状態にある女性を雇いました。

この女性が乳母めのとです。

乳母には当然ながら実子がいるので、実子を連れて雇われ先に奉公に上がるわけです。

雇われて育てる貴族の子と実子を同時に育てるので、その子たちは兄弟姉妹のように育ちます。

この乳母が連れてきた子のことを乳母子めのとごというのです。

弁と王命婦の2人は、藤壺女御と姉妹のように育ってきた乳母子で、大人になってからも側近中の側近として藤壺女御に仕え、支えている存在なのですね。

もうひとつ。

夢というのは当時かなり神聖なものとして捉えられていました。

その夢が何を暗示しているのかを解き明かすことを専門とするような人もいたのです。

「夢合わせ/夢解き」というのが、今でいう夢占いのことです。

ユングとかフロイトなんかよりも、もっとロマンティックな感じです。

さて、今回はこんな所でおしまいです。次回をお楽しみに♪

 

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