枕草子~小白河といふ所は~(4)


(前回までの内容)

①藤原済時の邸である小白河殿で「法華八講」を催すことになりました。清少納言も早朝に出発して行ってみると既に大混雑。左大臣・右大臣を除くすべての上達部、それから殿上人もたくさん来ていました。

②中でも、当時の三位中将、今の関白・藤原道隆様や、当時の中納言・藤原義懐様の素晴らしさは別格でした。

③後から来た女車が池の畔に駐めたのを見て、藤原義懐様が手紙を届けさせました。女の方は返事にもたついており、さらに一度出した返事を訂正するようなことまで。使いはまっさきに義懐様の所に返事を持って行きました。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・

さて、女の車からの返事についてです。

今回はちょっと分かりにくい所が出てきます。


【現代語訳】

藤大納言こと、藤原為光様が人一倍熱心に覗きこんで、

「何と言ってきた?」

とおっしゃったみたいで、三位の中将様が、

「まっすぐな木の枝を無理に曲げてへし折った感じだな」

と申し上げなさると、藤大納言様もお笑いになって、皆も何となく一斉に笑う声は、

女の車にも聞こえたんじゃないかしら。

義懐中納言様が、

「それで、呼び戻される前のはどう言っていた?これは訂正したのものだろう?」

とお尋ねになると、

「しばらく立って待っていたのですがが、いっこうに返事がございませんでしたので、

『では帰るとしよう』と言って歩き始めたところで呼び戻されまして」

などと申し上げていたわ。

「誰の車だろう。どなたか見知っていらっしゃる方はいませんか」

と不思議がりなさって、

「さあ、今度は歌を詠み送ろう」

などとおっしゃるうちに、説教の講師が登壇したの。

それで、みんな静まって講師の方を見ている間に、その女車はかき消すようにいなくなっていたのよ。

牛車の下簾なんかは、たぶんおろしたてだだったわね。

中の人は濃い紫色の単衣重ねを着て、その上に蘇芳色の薄手の上着、更にその上に二藍の織物の唐衣を着て、

後ろには摺り出した模様の裳を広げて長く垂らしていたけど、誰だったのかしら。

また、そっと姿を消すやり方も、出来損ないのやりとりを続けることになるよりは、

なるほど、と思われてかえって強い好感が持てたわ。


藤大納言・・・藤原姓の大納言ということ。藤原為光ためみつかと言われているようだ。義懐と同じく、花山朝の重鎮。

まっすぐな木の枝を無理に曲げてへし折った感じ・・・原文は「いとなほき木をなん押し折りためる」。女からの返事についての三位中将・藤原道隆の感想。素直さを失い、凝った結果として台無しになっている、ということ。『後撰和歌集』の「なほき木にまがれる枝もあるものを毛を吹ききずをいふがわりなさ」を踏まえている、と言われている。

牛車の下簾・・・牛車に掛ける簾の内側に垂らす布。


今回の最後の部分はめっちゃ謎な部分です。

「何かはまた、かたほならんことよりは、げにと聞こえて、なかなかいとよしとぞおぼゆる」

というもので、

「いったいどうして、また、出来損ないであるようなことよりは『なるほど』と思えて、かえって非常に良いと思われる」

が直訳です。

何言ってるの?状態なんですが、敬語が使われていないことと、その前の文から、牛車の女に対する評価なのは間違いない所です。

女の何かしらの行動について、清少納言が「なるほど」と理解を示しているのです。

これについて、講談社学術文庫『枕草子』も小学館の日本古典文学全集『枕草子』も、女の返事について理解を示した、という風に捉えています。

講談社の方は注釈なし、小学館の方は「このあたり異文も多く明らかではないが、女車からの返事のしかたについて、不充分な返事をするよりはこの方がよいと評価する文脈ととれる」と注しています。

しかーし。(´ι _`  )

女車からの返事がどんなものだったのかについて、本文には一切記されておりません。

清少納言は女車からの返事の内容は知らなかったと考える方が自然だと思います。

女車の返事は、そもそも使いが読み上げたのか、あるいは文を見せただけなのか、これも分かりません。

文を見せただけならば庭にいる清少納言は知るよしもなく、読み上げたとしても聞こえなかったのでしょう。

それに対し「なるほど」と理解を示すのはおかしな話なので、上記の通り、貴族達が説教師の方を見ている隙に姿をくらましたことについての評価というふうに解釈しました。


【原文】
藤大納言、人よりけにさしのぞきて、
「いかが言ひたるぞ」
とのたまふめれば、三位の中将、
「いとなほき木をなん押し折ためる」
と聞こえ給ふに、うち笑ひ給へば、みな何となくさと笑ふ声、聞こえやすらん。
中納言、
「さて呼びかへさざりつる先はいかが言ひつる。これや直したる定」
と問ひ給へば、
「久しう立ちて侍りつれど、ともかくも侍らざりつれば、
『さば、帰り参りなん』とて帰り侍りつるに、呼びて」
などぞ申す。
「誰が車ならん、見知り給へりや」
などあやしがり給ひて、
「いざ、歌よみて、この度はやらん」
などのたまふほどに、講師のぼりぬれば、
みなゐしづまりて、そなたをのみ見るほどに、車はかい消つやうに失せにけり。
下簾など、ただ今日始めたりと見えて、
濃き単衣がさねに二藍の織物、蘇芳の薄物のうは着など、
後にも摺りたる裳、やがて広げながらうちさげなどして、何人ならん。
何かはまた、かたほならんことよりは、げにと聞こえて、なかなかいとよしとぞおぼゆる。

<<戻る   進む>>

 

Posted in 古文 | Leave a comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です