浦島太郎[原典版]③


乙ちゃんと竜宮城

乙ちゃんと竜宮城 by.au

~前回までのあらすじ~

①丹後国で釣りをしながら両親を養っている青年、浦島太郎。ある日、一匹の亀を釣り上げたけれど、気の毒に思って海に帰してやりました。次の日、また釣りに出かけると、今度は一人の女性が小舟に乗って近づいてきました。事情を聞いてみると、大荒れの海で乗っていた舟が難破して、どうにか小舟に乗り換えて漂流してここまで来たとのこと。浦島はこの女性を故郷まで送り届けてやりました。

②その名も“竜宮城”という邸は、銀の塀に囲まれ、金の屋根瓦が並び、筆舌に尽くしがたいほど豪勢なものでした。四方を取り囲む庭は、東が春,南が夏,西が秋,北が冬、という風に四季折々の風景がいつでも楽しめるようになっている不思議なものでした。

さて、上の写真は今年の夏に期間限定で逗子の海岸にオープンしていた「乙ちゃんの竜宮城」というものだそうです。auユーザーには特典満載だったらしいです。自分はdocomoユーザーですが、行ってみたかったな。


【現代語】※なるべく直訳

このようにして、面白いことに心を充実させ、栄花を誇らしく思いながら過ごすうち、あっという間に三年が経ちました。

浦島太郎が申したことは、

「私に三十日の暇をください。故郷の父母を見捨て、ほんの少しの間、と思って出て来て、三年もの年月を送りましたので、気がかりな両親にお会いして、安心したいのです」

と申し上げたところ、女がおっしゃったことは、

「三年の間、夜は一緒の寝床に臥し、ほんの少しお見えにならないだけで、あんなことになってはいまいか、こんなことになってはいまいかと心配の限りを尽くしてきましたのに、今別れたら、次はまたいつの世にお逢いするというのでしょうか。夫婦の契りは来世に続く縁と申しますので、たとえこの世での契りが夢幻の儚いものだったとしましても、必ずや極楽浄土で再会できるように生まれ変わってくださいませ」

と言って涙を流して泣きました。続けて女がおっしゃったことは、

「今となっては何を隠し立てすることがありましょうか。わたくしは、この竜宮城の亀なのでございますが、絵島が磯で、あなた様に命を助けていただきまして、そのご恩返しを致しましょうということで、このように夫婦とならせていただいたのです。これは、わたくしの形見としてご覧くださいませ」

と言って、左の脇から綺麗な箱を一つ取り出し、

「絶対にこの箱をお開けになってはいけません」

と言って渡しました。会者定離はこの世の習わしで、出会った者は必ず別れる時が来るものだとは知りながら、感情を抑えがたくてこのように歌を詠みました。

日数へて重ねし夜半の旅衣立ち別れつついつかきて見ん
〔長い月日、衣を重ねて共寝をする日々を過ごしてきたあなたは、私と別れていつ会いに来てくださるのでしょうか〕

浦島太郎の返歌はこうでした。

別れ行く上の空なる唐衣ちぎり深くはまたもきて見ん
〔あなたと別れて行く私は心も浮ついておりますが、深い因縁があるならば、またやって来て唐衣を着るあなたにお会いすることになるでしょう〕

そうして浦島太郎は、お互いに名残を惜しみつつ、いつまでもそのようにしているべきではないので、形見として頂いた箱を持って故郷へと帰っていきました。

忘れもしないこれまでのこと、またこれからのことをも思い続けて遙かな波路を帰るときに詠んだ歌。

かりそめに契りし人のおもかげを忘れもやらぬ身をいかがせん
〔かりそめに夫婦の契りを交わしたあの方の面影を忘れてしまうこともできないこの身を、どうしたらよいのだろうか〕


【語釈】

・極楽浄土で再会…原文は「一つ蓮の縁と生れ」で、夫婦の縁は二世の縁、という流れから「来世でも夫婦に」と訳しているものを見かけるが、「蓮はちす」と出て来たら極楽を想起するのが普通だし、「一つ蓮」となれば「極楽での再会」と解釈するのが普通かと思われる。

・「日数へて~」の歌…「立ち」「き(来)」は、「旅衣」の連想から「裁ち」「着」がそれぞれ掛けられている。ことば遊びなので訳出はしない。

・「別れ行く~」の歌…前歌と同じく、「き(来)」は「着」と掛詞で「唐衣」の縁語。やはりことば遊びなので訳出しない。


乙姫って亀の化身だったのか~
∑q|゚Д゚|pギャオォン

そして玉手箱を頂戴しましたが、これは広く知られる昔話と同じなのでしょうか、それとも・・・?

それは次回のお楽しみ♪


【原文】※岩波文庫『御伽草子(下)』

かくておもしろき事どもに、心を慰み、栄花に誇り、明し暮し、年月をふる程に、三年になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「われに三十日の暇をたび候へかし。故郷の父母を見すて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて、心やすく参り候はん」と申しければ、女房仰せけるは、「三年が程は、鴛鴦の衾の下に比翼の契りをなし、片時見えさせ給はぬさへ、とやあらん、かくやあらんと心をつくし申せしに、今別れなば、又いつの世にか逢ひ参らせ候はんや。二世の縁と申せば、たとひ此世にてこそ夢幻の契にてさぶらふとも、必ず来世にては、一つ蓮の縁と生れさせおはしませ」とて、さめざめと泣き給ひけり。又女房申しけるは、「今は何をか包みさぶらふべき。自らは、この竜宮城の亀にて候が、ゑしまが磯にて、御身に命を助けられ参らせて候、その御恩報じ申さんとて、かく夫婦とはなり参らして候。また是は自らがかたみに御覧じ候へ」とて、左の脇よりいつくしき箱を一つ取り出し、「あひかまへてこの箱をあけさせ給ふな」とて渡しけり。会者定離のならひとて、会ふものには必ず別るるとは知りながら、とどめ難くてかくなん、

日数へて重ねし夜半の旅衣立ち別れつついつかきて見ん

浦島返歌、

別れ行く上の空なる唐衣ちぎり深くはまたもきて見ん

さて浦島太郎は、互いに名残を惜しみつつ、かくて有るべきことならねば、かたみの箱を取り持ちて、故郷へこそ帰りけれ。忘れもやらぬ来し方、行末の事ども思ひ続けて、遥かの波路を帰るとて、浦島太郎かくなん、

かりそめに契りし人のおもかげを忘れもやらぬ身をいかがせん


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