源氏物語~葵~(18)


桐壺院におかれてもお嘆きになって弔問に訪れなさったのですが、それがかえって名誉なことに思われ、こんな時なのにあろうことか嬉しさまで感じてしまい、左大臣殿は涙が止まりません。

人の進言に従い、蘇りにわずかな望みを掛けて、大がかりな修法などをありったけ執り行うことにしました。

中には、身体が傷ついてしまうようなものもあったので、それを見るにつけ、胸が痛んで仕方ないのですが、その甲斐もなく数日が過ぎてしまったので、今度こそ完全に諦めて葬送のため鳥辺野にお連れ申し上げる時の悲しさは比類ないものでした。

方々から最後のお見送りをしようとやって来た人々、あちこちの寺からも念仏を唱える僧が大勢やって来て、非常に広い野原に所狭しと集まっています。

院はもちろん、藤壺中宮様や春宮らの御使い、それ以外にも入れ替わり立ち替わり使いが参上して、心のこもった誠実な弔意を申し上げなさいます。

父大臣は立ち上がることもおできにならず、

「こんな年老いてから、若く盛りの娘に先立たれてしまうとは。どうしたら…」

と恥も忘れてお泣きになると、それを見申し上げる多くの人々も、たまらなく悲しい気持ちになりました。

一晩中続く非常に盛大な葬儀でしたが、はかない御屍だけを残して夜明けも近い頃にお帰りになります。

人が亡くなれば、荼毘にふすのが世の習わしですが、これまで野辺送りをしたのは一人だったでしょうか、光る君にはこのようなご経験がほとんどないので、この上なく亡き人への恋しさが募り、思い乱れなさるのでした。

八月二十日過ぎの有明の空だったので、空の景色もしみじみとしており、左大臣が心に深い闇を抱いて途方に暮れていらっしゃるお姿を御覧になるにつけ、もっともなことだと光る君も非常につらいお気持ちになったので、ただぼんやりと空を眺めなさりながら、独り言のようにつぶやきました。

のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲井のあはれなるかな
〔立ち上っていった火葬の煙は紛れてしまって雲と区別がつかなくなってしまいましたが、空全体がしんみりともの悲しさに覆われていることです〕

※雰囲気を重んじた現代語訳です。


最後の望みを掛けた修法も空しく、いよいよ野辺送りです。

光源氏も悲しんでいますが、父である左大臣の嘆きは並大抵ではありません。

光源氏が最後に詠んだ歌ですが、少しだけ補足説明を。

火葬の煙を空が吸い込んだので、空までもが悲しんでいるかのようだ、というものです。

発想は「涙雨」と同じようなものですが、表現がダイナミックですね。

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