近畿旅行記(2017夏)①


夏休み、京都に行ってきました。

(。゚ω゚) < マタカヨ!!

とか言わないで。

【8/01】

初日、なっつ号と記念撮影して出発(am6:15)

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なっつ号ほとんど写ってなかった・・・笑

さて、初日に目指すのは比叡山延暦寺です。

1日目

東名→新東名→伊勢湾岸→新名神で大津まで行って高速を下り、比叡山へ。

そして比叡山延暦寺に到着したのはpm2:00ごろ。

比叡山のドライブウェイはかなりのクネクネ山道でした。

伝教大師とも呼ばれる最澄が延暦年間(782~806)に開いたので延暦寺と呼ばれるのですが、「延暦寺」という一つのお寺があるわけではなく、比叡山にある寺院群の総称が延暦寺です。

延暦寺は古典文学に頻繁に登場するわけでもないですが、大僧正慈円や源信(横川の恵心僧都)などという文人を輩出しています。

慈円は日本史では『愚管抄』を書いた人として習いますが、文学的には『拾玉集』という大規模な歌集を残したことで知られた大歌人でもあり、『百人一首』にも採られています。

おほけなくうき世の民におほふかな我が立つ杣に墨染の袖
〔差し出がましくも、つらい世の中に住む人々に覆い被せることだ。比叡の山に立つ私の黒い僧衣の袖を〕

人々の救済を誓う歌です。

実は学生時代の卒論が慈円だったのですが、何を分かって書いていたのやら・・・笑

恵心僧都の話はまた後で。

また、『源氏物語』に登場する「浮舟」という女性は入水自殺が未遂に終わり、横川の僧侶に助けられて命を繋いでいきます。

さて、延暦寺は大きく「東堂地域」「西塔地域」「横川地域」に分かれています。

想像以上の広大さでした。

ここをしっかり参拝するなら最低でも4時間は見ておかないといけませんね。

道順でまず最初に到着するのが東堂(とうどう)地域で、おそらくここが最も中心的な場所です。

東堂地域

東堂地域案内図

駐車場に着くとまず出迎えてくれるのが大きな石碑。

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登叡成佛

「佛」は「仏」の異体字なので、「比叡山に登ると成仏できる」という意味です。

拝観料を納めて、まず最初に現れるのは国宝殿ですが、見ている時間はないのでやむなくパス。

次に現れたのが大講堂。

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延暦寺東堂-大講堂

中に入ってお詣りした後、右に進むと鐘楼がドーン。

比叡山東堂地域-鐘楼

延暦寺東堂-鐘楼

1突き50円/連打禁止・・・

しかし、鐘をつくと願いが叶うそうで、ついてきました。

めっちゃ上手に鳴らせました。(^^)v

そのまま右手階段を下りて進んでいくと、根本中堂という延暦寺総本堂があるのですが、去年から大改修が始まっており、完成までに10年を要するらしいです。

というわけで、拝観は出来ましたが写真はなし。

根本中堂の横にあった最澄(伝教大師)の像。

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横の階段を上っていくと見えてくるのが文殊楼。

延暦寺東堂-文殊楼

延暦寺東堂-文殊楼

中に入ってはしご段を登り、2階を見学することが出来ました。

文殊菩薩が祀られている他、絵馬がたくさん掛けられていました。

この文殊楼の近くに前述した「おほけなく・・・」という慈円の歌碑があったらしいのですが、バッチリ見逃してしまいました。
ドヨォォ─(lll-ω-)─ォォン

やはり急いでいるとやらかしてしまいますね。

駄目だコリャ、次行ってみよう。

さて、文殊楼を後にして大講堂の方へ戻っていき、更に反対側に進んでいくと戒壇院。

延暦寺東堂-戒壇院

延暦寺東堂-戒壇院

そして、更に進んでいくと阿弥陀堂と東堂ですが、逆光で黒くなってしまいました。

延暦寺東堂-阿弥陀堂

延暦寺東堂-阿弥陀堂

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延暦寺東堂-東堂

さて、駐車場に戻って、西塔地域へ急ぎます。

何しろ、延暦寺の中で最も行っておかなければいけないのは最も奥にある横川なのです。

西塔地域案内図

西塔地域案内図

西塔地域に着いた時点ですでにpm15:00くらいです。

いとやばし。

「横川中堂は午後四時で閉堂します」とか書いてあるし、焦りました。

焦った結果、ここで様々なものを見逃してしまいます。笑

駐車場から進んでいってまず最初に現れるのは意外にも鳥居。

弁天様が祀られていました。

延暦寺西塔-弁財天

延暦寺西塔-弁財天

少し歩くとすぐに2連の建造物が見えてきました。

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1枚目が常行堂、2枚目が法華堂です。

常行堂と法華堂は渡り廊下でつながっており、二つの堂をあわせて「にない堂」と呼ぶようです。

渡り廊下の下をくぐって進んでいくと左手に恵亮堂えりょうどう

延暦寺西塔-恵亮堂

延暦寺西塔-恵亮堂

更に進んでいくと釈迦堂が見えてきました。

この釈迦堂が比叡山の中で最も歴史のある建造物なのだそうです。

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ここは500円を納めると特別拝観で内部に入ることが出来ます。

そして僧侶の説明も聞けるのですが、すでに時は15:30。

説明を断って(!)横川に急ぎました。
∑d(・ω・*)

横川地域

横川地域案内図

横川は「よかわ」と読むのですが、観光客のために案内の人はわざと「よこかわ」と言っていました。

この地で修行をした人として有名なのが、横川の恵心僧都えしんそうずこと源信げんしんです。

平安時代の僧侶で、浄土真宗で聖典とされる(らしい)『往生要集』を書き上げました。

また、鎌倉時代に書かれた説話集『沙石集』にもこの人のお話が載っており、初めは和歌を嫌っていた恵心僧都が和歌を好むようになったいきさつが書かれています。

さて、横川の駐車場に着いた時点で15:40くらい。

横川中堂の閉堂が16:00ということだったのでかなりギリギリでした。

が、よく考えれば中堂が閉堂した後も他は見られるのです。笑

とはいえ、ね。

東堂の辺りでは観光客がかなりいたのですが、時間のせいか閑散としています。

歩いて行くとまず池がありました。

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龍ヶ池というそうです。

そういえば石山寺も龍が祀られていましたが、ここにもそうした縁起があるのでしょうね。

龍ヶ池のすぐ右手に、閉堂が間近に迫った横川中堂がありました。

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次に向かったのが恵心院(恵心堂)です。

非常にこぢんまりとしたお堂で、もともと開いていないのか遅いから閉まってしまったのかは分かりませんが、中は見ることが出来ませんでした。

延暦寺横川-恵心院

延暦寺横川-恵心院

恵心院を見てほぼ満足したのですが、最後に元三大師堂がんさんだいしどうもお詣りしました。

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何でも、ここはおみくじ発祥の地でもあるのだとか。

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しかし、話を聞いてみると普通のおみくじとはまったく違うようで。

悩みを打ち明けてから祈祷などをして御仏のご意向を伺う、という感じで1時間くらいかかるらしく、2,000円ほど納めるようです。

100円でえいやっと引くものとはまったく違うようでした。

ということでおみくじはやらず、これで終了です。

意図せず、または意図的に様々な物を見落としましたが、根本中堂の修繕が終了してからまた訪れて、その際は時間を気にせずじっくりお詣りできるプランを立てようと思います。

1日目の宿は京都ガーデンホテルという所。

京都中京区御室通りにありまして、素泊まりで5,400円という驚きの安さ。

ただ、駐車場が鬼のように狭く、自分が到着したときには最も駐めにくい奥しか開いておらず、えっちらおっちらと20回くらい切り返してやっと駐車しました。

延暦寺のお詣りよりも、ここの駐車の方が疲れたな。笑

さて、これで1日め終了です。


【8/02】

2日めでやんす。

am9:15ごろチェックアウトして、この日最初の目的地、貴船神社に向かいます。

延暦寺とは違い、ここは車で行くのは得策ではなさそうなので、車で叡山電鉄の岩倉駅まで向かい、そのまま叡山電鉄で貴船口まで行き、そこからは徒歩というルートです。

2日目①

岩倉という中途半端な場所を選んだのは、この駅の近くに駐車料金1日最大500円というのがあったからです。

叡山電鉄に乗っていると、紅葉のトンネルというのがあって、紅葉シーズンは綺麗なんだろうなと思いました。

車内から撮影した紅葉のトンネル

車内から撮影した紅葉のトンネル

さて、貴船口からは徒歩です。

車やバスで行く人もいましたが、こういうのは徒歩が良いのよ!

分かってないなあ。

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写真①:参道をずっと流れている川
写真②:和泉式部恋の道の立て札
写真③:蛍岩
写真④:烏帽子岩

貴船神社は恋愛成就の祈願をする神社で、和泉式部ゆかりの地でもあるのです。

蛍岩というのは、後で出てくる和泉式部の歌が詠まれた地とされ、今でも蛍の名所らしいです。

烏帽子岩は、昔ここをお詣りした貴族がこの岩に烏帽子を置き、身を清めたのだそうです。

 

こういう景色を見てマイナスイオンを感じながら行くからこそ、でしょうよ。

まあ人のことはさておき。

貴船神社に到着しました。(am10:30)

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この貴船神社の階段の景色、めっちゃ見たことある~~~、って思いました。

それから御本殿ですね。もちろん祈祷もして頂きました。

鈴をシャンシャンシャンシャン・・・てして頂いてる時、何だか魔法にかかっているような不思議な感覚になりました。

さて、続いては結社ゆいのやしろへ向かいます。

本宮を出て歩き始めるとすぐに川が流れていて橋が架かっています。(鈴鹿川/鈴鹿橋)

すずかはし

すずかはし

そして少し歩くと結社に到着。

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2枚目の舟の形をした石は自然天然のものだそうで、天乃磐船あめのいわふねというそうです。

そして、ここに和泉式部の歌碑がありました。

和泉式部の歌碑

和泉式部の歌碑

もの思へば澤のほたるもわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る
〔物思いに耽って心も失ったようにぼんやりしていると、沢辺を飛ぶ蛍も、我が身から抜け出してしまった魂なのではないかと、そんな風に見えてくることだわ…〕

和泉式部は恋多き女性として知られ、『和泉式部日記』に書かれた帥宮敦道親王との恋がとりわけ有名です。

そんな和泉式部ですが、敦道親王が亡くなった後、藤原保昌と結婚します(再婚)。

しかし、夫の訪れがめっきりなくなってしまった頃、貴船神社を参拝し、先ほどの蛍岩のあたりでこの歌を詠んだのだそうです。

そしてこの参拝により、見事に夫婦仲は回復したのだそうな。

さて。

結社からさらに奥の方へ進んで奥宮を目指します。

すると途中に「相生あいおいの杉」が見えてきます。

相生の杉

相生の杉

その先には「思ひ川」という川。

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この川を渡ると奥宮です。

遙か昔には奥宮が本宮だったそうで、本宮を詣でる前にこの川で身を清めていたのだそうな。

身を清めることを「物忌みをする」とも言います。

ですから、この川は元々「おものいみ川」だったそうで、それが先述の和泉式部の話から「おもひ川」へといつの間にか名前が変遷したのではないか、との説明書きがありました。

そして奥宮。

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3枚目の写真は「御船形石」というものだそうです。

結社の天乃磐船に続いて、また船形の石です。

貴船神社は恋愛成就の他、海上安全の御利益もあるとされているのです。

貴船神社は本当に素敵でした。


さて、貴船神社を後にして、午後は十輪寺(なりひら寺)に向かいました。

2日目②

到着したのはpm3:15。

ここは打って変わって閑散としています。

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こぢんまりとした渋いお寺さんです。

どことなく雰囲気の良い庭でした。

そして本堂に入る前に裏手の方に回っていきます。

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写真①:歴史を感じる石仏
写真②:謎の石
写真③:在原業平のお墓
写真④:業平の塩竈

ここは、在原業平が晩年に隠棲していた所なのだとか。

それで通称が「なりひら寺」なのです。

塩竈は、難波の海から海水を運ばせ、ここで塩焼きをして楽しんでいたのだそうで。

そして、御本堂に入ると、中庭に「なりひら桜」があります。

寝転んで眺めるスタイルで有名らしいです。

なりひら桜(夏)

なりひら桜(夏)

寝転んで眺めつつ撮ってみましたが、如何せん桜が咲いておりません。笑
v(@∀@)v Yeah!

しかし、業平の塩竈が見られたので満足。

これで2日めを終了してお宿に向かいました。

2日めは十輪寺からほど近い、ホテル京都エミナースという所。

ここは1日めと違って普通(おそらく)のお値段のホテルです。

駐車場もちゃんとしているし、天然温泉施設が併設されており、入り放題。

めっちゃ寛ぎました。

夕方にひとっ風呂浴びた後、お土産・夕食・給油のために外出。

にゃんにゃん、のんの、になっち(←今年の高3生)におねだりされた八つ橋を買ったり、自分用のお酒やら漬物やらを買い、ラーメンを食べ、そして給油!

1日めからここまでの走行距離は539.3km。給油したのは21.59L。

計算すると、ここまでの燃費は24.9km/Lでした。

おおっつ!目指している数値よりかなり低い!

しかしこれは比叡山の山道ドライブのせいなので想定の範囲内です。

ここから帰りまで再計算して良い数値を目指します。

-後編-

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