近畿旅行記(2017夏)②


さて、近畿旅行の後編です。

いつもは1つの記事にまとまるのですが、なぜだかエラーが出るので2つに分けました。

ちょっとバランス悪いですが、後編は最終日のみです。(^^;)

【8/03】

am8:30ごろにチェックアウトし、隨心院を目指しました。

3日目①

到着したのはam9:20。

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境内に入るとさっそく小野小町の歌碑がありました。

花のいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに
〔美しかった花はすっかり色あせてしまったわ、長雨が降ったせいで。同じように、私の美しかった容色も衰えてしまったわ、物思いに耽りながら過ごしていた間に〕

そう、ここは小野小町ゆかりの寺院なのです。

小野小町は仁明天皇(810~850)の更衣(天皇の妻の一人)として仕え、天皇崩御の後、この地に移り住んだという言い伝えがあるのです。

さて、十輪寺に比べると敷地面積が広く、幾つもの建物で構成されており、あちこちに中庭がある感じです。

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どこもそうですけど、襖絵や安置されている仏像は撮影禁止です。

が、これ↓はOKのようだったので撮ってきました。

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確かこれがあったのは表書院だったような。

この獅子の絵、なかなか良いですねー。

さて、こちらの建物が隨心院の御本堂です。

隨心院御本堂

隨心院御本堂

庭に下りないと正面からは撮影できませんが、庭には下りられない。笑

ご本尊の如意輪観音像を中心に、数々の仏像と僧侶像が並び、荘厳とした雰囲気でした。

女性限定の納骨堂・小町堂という建物もありました。

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隨心院-小町堂

それから、これ↓が榧かやの実です。

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~昔々、深草少将という貴公子がおりました。小野小町に深く思いを寄せており、百日の間通い続けたら結婚するという約束を取りつけました。深草少将は九十九夜通い続けましたが、いよいよという百日目の夜、大雪により道中で凍死してしまったのでした~

これが「百夜ももよ通い」という伝説です。

小野小町は深草少将が通ってくる日数を榧の実に糸を通して数えていました。

上の写真をよく見ると、実の先端に針の穴が開いているのが確認できます。

これで拝観を終え、建物の外に出ました。

外には小町梅園があり、梅の季節は見事なのでしょうが季節外れのため閉園中。

そして、敷地の南東に「小町化粧井戸」があります。

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この水で小野小町が化粧をしたとも自分の姿を映していたとも言われているそうです。

北東の方に回っていくと清滝権現せいりゅうごんげん

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隨心院-清滝権現

そこから西の方へ歩き、御本堂のちょうど真北くらいに位置するのが「文塚」です。

隨心院-文塚

隨心院-文塚

先述した伝説に登場した深草少将をはじめ、数多くの貴公子から寄せられた恋文およそ千通をここに埋めて供養した、と言い伝えられています。

(。゚ω゚)<1000通て!

隨心院、見所満載でお勧めです。


さて、この時点でまだam10:30と、予定よりちょっと早い。

計画していたのはここまでなので、迷いました。

近くにある醍醐寺行っちゃう?とも思ったのですが、醍醐寺は広すぎるかな、と迷っているうちに閃きました。

-そうだ 関寺、行こう。

2年前、逢坂の関の跡地を見てきました。

しかし、実は逢坂の関の正確な位置は特定できていないのです。

逢坂山も掘削されているし、そもそも関所とは交通の要所なので、戦乱が起きればまず被害に遭うのが宿命とも言えるでしょう。

逢坂の関には宿泊施設が併設されていたはずで、今の逢坂の関跡地とされている所よりも、もっと麓の方にある長安寺の辺りが関所のあった場所なのではないか、という説もあるのです。

そこで、長安寺は関寺とも呼ばれるのです。

てなわけで、逢坂山を越えて滋賀県に入り、大津駅の近くに車を駐めて長安寺まで歩きました。

3日目②

到着したのはam11:20くらい。

京阪京津線の線路のすぐ先に長安寺の石碑が建っています。

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この石段を登っていくと長安寺です。

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質素な御本堂です。

ご本尊は阿弥陀如来ですが、牛の像も祀られていました。

平安時代の中頃に大地震で関寺は大損害を受けました。

その復興工事を手伝う(資材の運搬)一頭の大きな牛がいました。

この牛は霊牛に違いない、ということで牛さんも祀られるのです。

実は、本堂よりも下にもっと本格的に牛さんを祀った宝塔(牛塔)があります。

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この牛塔は日本最古最大の宝塔で、重要文化財にも指定されています。

その大きさは1枚目の写真で横に写っている家と比較すると分かりやすいでしょう。

ていうか、重要文化財なのに民家の横の空き地にあるって・・・笑

それから、実は晩年の小野小町はこの関寺の付近に隠棲していたという伝説もありまして、小野小町の供養塔もありました。

長安寺(関寺)-小野小町供養塔

長安寺(関寺)-小野小町供養塔

そして、長安寺の裏手の山を散策していると、不思議な歌碑がありました。

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なみのおと松のひびきも成相のかぜ吹きわたす天のはし立

この歌は調べてみると京都府の北部、日本海よりで天橋立からほど近い、成相寺なりあいじの御詠歌でした。

※成相の「なり」に「鳴り」が掛けられています。

で、そんな歌の碑がなぜ滋賀県の長安寺にあるのだ?

この謎は謎のままです。誰か教えてくれたら嬉しいです。


長安寺をお詣りした後はちょうど良い時間だったのでお昼を食べて帰路につきました。

図らずも、大津まで来ていたので、帰りは行きのルートを遡るだけ。

新名神→伊勢湾岸→新東名・・・

すると、伊勢湾岸~新東名を走っている間に電光掲示板で新東名の一部区間で通行止めという情報が。

Σ( ̄ ̄ ̄Д ̄ ̄ ̄lll) ガビーン

このまま新東名を走っていくとエラいことになるので、岡崎のSAに立ち寄り、コンシェルジュのお姉さんにどうしたら良いのか聞くと「浜松いなさJCTで東名に渡ってそのまま東京方面に行けます」とのこと。

※家に帰ってから調べると、大事故だったようです。

海老名のあたりでいつも通りの渋滞に巻き込まれつつ、無事に帰ってきました。

さあ、ここで燃費チェックや!

2日目の夜にリセットしてからの走行距離は501.7km。給油したのは17.67L。

計算すると、28.4km/Lでした。

やはり、比叡山のクネクネ山道がなかった分だけ伸びました。

が、目指しているのは30km/Lなのです。

燃費計では出るのですが、実燃費を計算するとこれはなかなか難しい。

エアコンを使わない季節、渋滞にも巻き込まれず、高速で煽られてもシカトして燃費に優しい速度を遵守することが出来れば到達できるかも?

いつかきっと。笑

というわけで、近畿旅行記(2017夏)はこれで完結です。

-前編-

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