大学入試新テスト〔国語〕-1


2021年の1月からセンター試験に変わる新たな試験が導入されます。

正式には「大学入学共通テスト」という名称が予定されているようで、「共通一次」を彷彿とさせます。

この新テストは、2017年現在中学3年生の学年からスタートということになります。

昨日7/13[木]に国語と数学の例題の一部が公表されました。

日経新聞のホームページからダウンロードできます。

さっそく国語(公開された現・古1題ずつ)の例題を解いてみました。


【現代文】

短歌に関する問題。例題として紹介するには特殊で、思考力を重視する、という点を意識したのはよく分かるが、例題にふさわしいのかは疑問。

 

問1は語彙力を問う問題で、従来のセンター試験の大問2(小説)の問1と同じ。

(ア)琴線に触れる
①落ち着き安堵させること
②失望し落胆させること
感動や共鳴を与えること
④動揺し困惑させること
⑤怒りを買ってしまうこと

(イ)時雨
①春の、特に若芽の出る頃、静かに降る細かい雨
②昼すぎか夕方にかけて、急に曇ってきて激しく降る大粒の雨
③一しきり強く降ってくる雨
秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨
⑤みぞれに近い、きわめて冷たい雨

(ウ)感嘆おくあたわざる
感嘆せずにはいられないこと
②感嘆してはいられないこと
③感嘆する余裕がないこと
④感嘆するか迷ってしまうこと
⑤感嘆することもありうること

(イ)の「時雨」は現代文で教える機会があるのかよく分からないが、古文では教える。

(ウ)の「あたわず」という表現が不可能を表すことは漢文の基礎知識。

すべて近現代の短歌を取り上げているとはいえ、短歌というジャンル自体が古典的色彩を帯びたものであることからも、現代文・古文・漢文という垣根を越えた問題を作ろうとしているのがうかがえる。

 

問2は理解力を問う問題ということのようで、文中に引用されていた二首の短歌が空欄になっており、内容を理解した上で、その二首として正しいものを選ばせる問題。

文中に入る短歌を選ぶ問題については、古文でもっと難易度の高い問題が私立大学の入試問題で出題されるので、古文の勉強をきちんとしている者にとっては極めて平易な問題。

本文は次のようになっている。


[空欄1]
[空欄2]
いちじくの冷たさへ指めりこんで、ごめん、はときに拒絶のことば 千種創一『砂丘律』

生きている/生きていた命に触ることは、しばしば怖れや気味の悪さを伴う。それぞれ動詞がリアルに効いていて、日常の破れ目が見えるような怖さがある。


「恐れや気味の悪さを伴う動詞」は、三首目の短歌の出だし「いちじくの冷たさへ指めりこんで」しかない。

そもそも、この短歌に動詞は一つしか使われていないが。

これに対して、選択肢は6つ。

①悲しみの単位として指す川にはなみずき散りやんでまた散る
ぬめっとるまなこに指をさし入れてゆびが魚をつきやぶるまで
③触れることは届くことではないのだがてのひらに蛾を移して遊ぶ
④足のゆびはおろかにし見ゆ湯あがりの一人しばらく椅子にゐたれば
遠くまで来てしまひたり挽き肉に指入るるとき今も目つむる
⑥風よりも静かに過ぎてゆくものを指さすやうに歳月といふ

魚のメンタマに指を突っ込む、とか、挽き肉に指を突っ込む、とかいう言葉に嫌でも目が行くので容易。

 

問3は読解力を問う問題。国語が苦手な少年少女はここで点を落としそう。

【文章Ⅰ】で示された「触覚」の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

①生きているものに触れることの恐怖感や不気味さを克服して、その真の姿を知ること。
②記録する媒体に頼ることなく、たった一度の経験を自ら記憶し続けること。
③何かに触れるリアルな体験により、自他が一体化した感覚を強く意識すること。
④視覚や聴覚による認識をこえて、対象の本質に深くせまろうとすること。
直接触れる実体験を通して、何気ない生活場面や自らの存在を鮮明に捉え直すこと。

本文中で何度も「触覚の見直し」について言及されている。

「何かに触れることは、生きている自分自身を確かめ直すことなのだなと思う」
「触れることが命の輪郭をなぞり直すことだとしたら、それは他者の命についても同じだ」
「さまざまなものに触れながら生きている自分の輪郭を新鮮に確かめ直す」

 

問4は読解力と言語表現に対する理解力を問う問題。国語が得意な少年少女もここで戸惑いそう。

【文章Ⅱ】の傍線部(エ)「右三首のうち白秋と牧水の歌は、作りが似ている」とあるが、これらの作品の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

①知覚した音の響きが視覚に変換され、リフレインを効果的に使うことによって、より実感的に音が表現されている。
知覚した音の響きそのものが言語化され、リフレインを効果的に使うことによって、音の拡がりが表現されている。
③知覚した音の響きそのものが言語化され、比喩表現を効果的に用いることによって、読者を異次元空間に誘っている。
④知覚した音の響きと実景が言葉によって融合し、対句を効果的に用いることによって、立体感ある情景が表現されている。
⑤知覚した音の響きが視覚に変換され、対句を効果的に用いることによって、音のうねりや拡がりが表現されている。

「右三首の歌」とは、

ひたぶるに暗黒を飛ぶ蠅ひとつ障子にあたる音ぞきこゆる  斎藤茂吉『あらたま』

ニコライ堂この夜揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり  北原白秋『黒檜』

空の日に浸みかも響く青々と海鳴るあはれ青き海鳴る  若山牧水『海の声』

の三首です。まず一つ言わせてもらうと、「これらの作品」と設問に書かれているのは、厳密に言えば三首すべてを指していることになってしまいます。

この傍線が長すぎるからで、茂吉の歌を含まないのであれば「白秋と牧水の歌は、作りが似ている」だけに傍線を引くべきでしょう。

さておき、「白秋の歌と牧水の歌の共通点」についてはきちんと次のように書いてある。

「歌全体が聴覚と化したようで、響きそのものになって拡がっていくようだ

そして、二首ともに「繰り返し(=リフレイン)」が絶妙だと力説されている。

 

問5は【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】を統合した問題。更に斎藤茂吉の「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」という歌を引き、これについて生徒たちが討論をしている、という体裁の問題。

「しんしんと」という副詞には「①あたりが静まりかえる様子②寒さなどが身にしみ通るように感じられる様子」と2つの意味があることを示し、さらに、「しんしんと」という言葉を含む歌五首が提示される。

(ⅰ)生徒Cが紹介した歌の中で使われている「しんしんと」について、【文章Ⅱ】で取り上げていた内容に最もふさわしいものは何か。

①しんしんと雪ふりし夜に汝が指のあな冷たよと言ひて寄りしか
②しんしんとゆめがうつつを越ゆるころ静かな叫びとして銀河あり
大いなる岩を穿ちて豊かなり水しんしんと滝壺に入る
④暖かき小鳥を埋めるしんしんと雪ふればみな死なねばならぬ
⑤火のやうなひとに逢ひたししんしんとひとつの思想差し出だしたし

【文章Ⅱ】は聴覚に特化して訴えかけてくる短歌を論評した文。従って、「しんしんと」が音に関わる意味合いで使われている歌を選べば③になる。「水がしんしんと滝壺に入る」というのはいかにも詩的な表現。

(ⅱ)生徒Bの発言の空欄アに【文章Ⅰ】の中の一文を入れる場合、どのような表現が入るか。最も適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ。

①触覚が本当に生きている歌というのは、視覚や聴覚の歌に比べると思いのほか少ない気がする
②短歌でも、何かに「触れる」という歌はたくさんあるけれど、それがすなわち触覚の生きた歌だとは限らないのだ
③神経が昂ぶっているときの、異様に研ぎ澄まされた感覚だろう
④視覚なら今は写真や映像があるし、聴覚ならさまざまの音源があるが、触覚は基本的に「記録」できない
触れることが命の輪郭をなぞり直すことだとしたら、それは他者の命についても同じだ

空欄アの前後を書き出すと、

「しんしんと」の【意味2】を踏まえると、「 ア 」と【文章Ⅰ】にも書かれていたように、母の死を覚悟した作者の痛切な思いが身にしみ入っていく様子を表現しているとも捉えられます。

です。

「しんしんと」の意味2とは「寒さなどが身にしみ通るように感じられる様子」のことで、つまり音に関わる意味合いではない方ということ、【文章Ⅰ】とは触覚の話。

茂吉の「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」という歌の「しんしんと」を触覚的表現として解釈すると・・・という内容で、「母の死を覚悟した作者の痛切な思い」という表現からも、「命の輪郭をなぞり」という⑤の選択肢が最も適当。

(ⅲ)生徒たちの会話を踏まえて、生徒Aの発言の空欄イに入るものとして最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

①添寝という空間的表現と、かはづのこえという聴覚的表現とを交差させること
②死に近い母の命の感触と、天から降り注ぐように聞こえるかはづのこえを重ね合わせること
添寝によって実感する母の命と、夜の静寂の中に響くかはづの声とを対比させること
④母に添寝をしている自己の視点を、かはづの声にあふれた遠田に転換させること
⑤死にゆく母に添寝する部屋の静けさを、遠田で鳴くかはづの声によって強調すること

空欄イの前後を書き出すと、

私はこの短歌は「 イ 」により、生と死を象徴的に表した歌である考えることができました。

生と死を象徴的に対比、ということは死を間近に控えた母と、元気いっぱいに鳴く蛙の対比しかない。自力で歌の解釈もできてしかるべきだが、生徒Cのセリフの中に「遠くの田で鳴く『かはづ』の生にあふれた声」と出てくるので蛙の鳴き声が生命の象徴であることは明白。


短歌の解釈力が直接問われるような設問はないので、説明文と短歌を見比べながら短歌についての理解を深めて解いていくことになります。

これだけ短歌が連発する(19首も!)ので、受験生にとっては辛い問題でしょう。

ただ、しっかり文章を読んで理解する力(=読解力)があれば実は難しくありません。

マーク式に関しては、結局のところ、問われるのは読解力だ、という認識で間違いなさそうです。

これに記述問題がプラスされるということですが、そちらはまだ公表されていません。

記述は問題作成よりも、採点基準の統一の方が課題ですが、どうなるでしょうか。

 

とりあえず今回はここまでにして、古文についてはまた後日書いてみます。

 

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