「久しぶりにお話しになったと思えば、驚いたことを。訪れがない、などというような関係ではないでしょう。
つらいことをおっしゃるものですね。いつもそっけない対応をなさるのも、
もしかしたらお心が改まる時がくるかもしれないと、あれこれ試している間に、
ますます私を疎んじなさるようになっていくようですね。まあ仕方ない、生きてさえいればそのうちに」
といって寝室にお入りになりました。女君はそのままじっとしていてお入りになりません。
お声をかけるのも面倒になって嘆きながら臥しなさってしまったのは、
やはり何となく気に入らないのでしょうか、
眠たそうにしながら、夫婦の関係について何やかやとたいそう思い乱れなさっておりました。
と同時に、北山の少女がやはり気になって仕方ないご様子で、
「結婚には似つかわしくない年頃だと尼君が思っているのも当然のことだな。
言い寄るのが難しいけれど、どうにか迎え取って毎日の心の慰めに見ていたいものだ。
兵部郷の宮様は非常に高貴で優美ではあるが、華やかさには欠けるのに、
あの少女はどうして藤壺様に似ていらっしゃるのだろう。
兵部郷の宮様と藤壺様は母親が同じお后だからだろうか」
などとお思いになっております。
その血のつながりが非常に慕わしく思えて、何としても手に入れたいとお思いになっておりました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
光源氏と葵の上の不仲っぷりが炸裂しております。
さて、今回は「美」を形容する言葉が難しく使われている箇所がありました。
兵部郷の宮は、いとあてに、なまめい給へれど、匂ひやかになどもあらぬを、
というのですが「あてなり」「なまめく」「匂ひやかなり」というのは意味が少しずつ重なります。
三省堂全訳読解古語辞典でこれらの語を引いてみます。
・あてなり⇒身分が高いことと、容姿やふるまいなどが上品で優美なさまとを表す。この意味の背景には、身分の高い人は容姿やふるまいが上品で優美であるという考え方がある。王朝文化には、身分・家柄の秩序が美の基準と対応するという理念があった。
・なまめかし⇒動詞「なまめく」の形容詞化した語。みずみずしい美しさ、自然な美しさを表し、そこからしっとりした上品な美しさの意となる。
・匂ふ⇒「にほふ」の「に」は「丹」で、赤い土の意から転じた赤い色。赤い色が浮き出て目立つ意が原義で、本来視覚的なものに関して使用された。あたり一面に明るく華やいだ美しさがあふれているさまをいう場合が多く、この用法が、嗅覚に転用された。中古以降になると嗅覚での用法も一般的になり、やがて視覚的な用法は忘れられた。
言葉の深いイメージを知ると面白いですよね。
「匂う」について、「視覚的な用法は忘れられた」とありますが、現代でも「匂い立つような」と表現すると視覚的な用法になるので、完全に消滅したわけではありません。(参考)
前に載せた系図ですが、紫の君の血筋についてもう一度確認しておきましょう。
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