元旦も過ぎて、その年は男踏歌がある年だったので、
光る君は例によってあちらこちらへと歌や舞の準備に忙しく飛び回っていらっしゃいましたが、
うら寂れた末摘花邸がしみじみ気の毒に思われてならなかったので、
七日、人日の節句が終わった後、夜になってから帝の御前を退きなさると、
そのまま御宿直の部屋にお泊まりになると見せかけて、夜更に訪問なさいました。
いつもよりは賑やかで、世間並みといった感じがします。
姫君も、少ししっとりとおしとやかな雰囲気を身にまとっておいででした。
どうであろうか、年も改まってこの姫君もすっかり変わったらその時は、と思い続けていらっしゃいます。
翌朝は日の出の頃までゆっくりとして、お帰りになりました。
東の妻戸を押し開けると、向いの渡り廊下には屋根もなくぼろぼろなので、朝日が差し込み、
雪が少し降っていたので明るく反射して部屋の奥まで見えました。
光る君が御直衣などをお召しになるのを見ると少し近づいて、横向きに寝ていらっしゃいましたが、
髪の毛のこぼれ出ている感じは素晴らしくございます。
顔立ちも美しくなる時がもし来たらなあ、とお思いになりつつ格子をお上げになりました。
前に末摘花の容貌をすっかりご覧になって気の毒なお気持ちがしたのに懲りて、
格子は上げきらずに肘掛けをそこに挟んで支えとし、耳の辺りの乱れた髪をそっと整えておやりになりました。
どうしようもなく古くさい、鏡台にもなる中国製の化粧箱、髪結い道具を入れる箱を女房が取り出しました。
一応、男性用の道具も少しあるのを、光る君は気が利いていて面白いとお思いになりました。
末摘花の装束が今日は普通に見られたのは、光る君がお贈りになったのをそのままお召しになっているからでした。
しかし光る君はそのことにお気づきにならず、興趣のある模様がほどこされた袿を見て奇妙にお思いになりました。
「今年は声を少しはお聞かせくださいね。待たれる鶯の初音以上に、あなたのご様子が改まるのが待ち遠しくて」
とおっしゃると、
「さへづる春は」
〔無数の鳥がさえずる春は毎年改まりますが、私は年々古くなっていくだけです〕
と声を震わせながらおっしゃるのがやっとでした。
「そうだなあ。しかし、やっとお声が聞けたのも年月が経ったおかげだよ」
とお笑いになって、
「夢かとぞ見る」と口ずさんで退出なさるのを見送ると、物に寄り掛かっていらっしゃいます。
袖で口を覆った横顔は、やはりあの末摘鼻がとても赤々としているのをチラッとご覧になって、
見苦しいものだ、とお思いになる光る君でした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
光源氏のセリフで「待たれる鶯の初音以上に」と訳したところですが、原文は、
待たるる物は
という引き歌です。
これは、『拾遺和歌集』や『和漢朗詠集』に収録されている素性そせい法師の歌で、
あらたまの年たちかへるあしたよりまたるゝものは鶯のこゑ
〔新年を迎えた元旦の朝から待たれてならないのは鶯の初音であるよ〕
という和歌の第四句です。
末摘花の「さへづる春は」は、
百千鳥さへづる春はものごとにあらたまれども我ぞふりゆく
という『古今和歌集』の歌(詠み人知らず)を引いたもので、上の訳は和歌全体のものです。
別れ際の光る君の「夢かとぞ見る」は、
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見んとは
〔現実を忘れて、僧となった君を目の前に見ていることが夢のように思われます。誰が予想したでしょうか。雪を踏み分けて君を見ることになろうとは〕
という『古今和歌集』や『伊勢物語』に収録されている在原業平の歌の一部を改変して引いたものだそうです。
『伊勢物語』には、業平が親しく仕えていた惟喬これたか親王が突然出家して比叡山に籠もってしまったのですが、正月に、高く積もった雪を踏み分けながら会いに行った時の歌だと書かれています。
正月、雪という状況に加え、やっと末摘花の声が聞けて夢のようだ、という所が一致しています。
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