翌朝、光る君がお帰りになるといって着替えていらっしゃるところに、左大臣殿が顔をお出しになりました。
名高い帯を手にお持ちになって、お召し物の背中を整えるなどし、沓まで履かせて差し上げるつもりではないだろうかと思われるほどでした。
この熱心なお世話ぶりには感動すらおぼえるほどです。
「このような立派な帯は内宴の時にでも・・・」
と申し上げなさるのですが、
「その時にはこれよりも上等なのがございます。これはただ目新しいというだけですから」
といって、強引にその帯を締めさせなさるのでした。
本当に、あれこれ大事に光る君をお世話することに生き甲斐を感じていらっしゃるのです。
「頻繁ではないにせよ、このような方を婿として家に迎え入れるのにまさることはあるまい」と思っていらっしゃるのでした。
参賀のご挨拶といっても、光る君はそんなにたくさんの所にお出かけになるわけではありません。
内裏、春宮の所、一院、その他は藤壺様の三條の宮に参上なさいました。
「今日はまた格別にお見えになりましたね」
「成長なさるにつれて、近寄りがたいほど美しく立派なお姿になりなさるものです」
と女房たちがお褒め申し上げました。
藤壺の宮様は、几帳の隙間からそのお姿をちらっとご覧になるにつけても、複雑な思いが溢れてきなさるのでした。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
前回の内容を受けて、かいがいしく光源氏の世話をする左大臣の様子が具体的に描写されます。
「内宴」と出てきたので、三省堂詳説読解古語辞典で引いてみます。
平安時代、宮中で、正月の年中行事が一段落したのちに行われた天皇の私的な宴会。陰暦正月二十一日を原則として、二十三日までに子ねの日があれば、子の日の宴とともに、仁寿殿じじゆうでんで催された。文人に詩を作らせ、内教坊舞妓ぶぎに女楽を奏させた。
と説明されています。
仁寿殿とは内裏にある殿舎の名称です。
緑で囲ったところが仁寿殿です。清涼殿のすぐ近くですね。
では今回はここまで。
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