その頃、斎院もその地位をお退きになって、弘徽殿の后がお生みになった三番目の姫宮が、新たに斎院の座におつきになることになりました。
父院も母后も格別にかわいがっていらした宮だったので、まったく別の世界に行ってしまわれることを非情に悲しくお思いになったのですが、その地位にふさわしい方が他にいらっしゃらないので仕方ありません。
就任の儀式などは規定の神事なのですが、盛大に執り行うようです。
また、賀茂祭においては、決められた儀式に付け足すことも多く、見所の多さは格別でした。
これもお人柄によるものでしょう。
賀茂祭に先立って行われる禊ぎの儀式の日、決められた人数だけ上達部がお付き添い申し上げなさるのですが、それには、評判が格別で容姿の優れている方だけを選び、下襲の色、上の袴の紋、馬の鞍までをもすべて揃えていたのです。
特別な宣旨により、光る大将の君も付き添いの公卿に指名され、お仕え申し上げなさるのでした。
車で見物に出かけようという人々は楽しみにしていました。
一条大路は見物の人々でびっしりと埋め尽くされ、異様なほどに大騒ぎしています。
あちらこちらの観覧席は皆それぞれに意匠が凝らされ、女たちの衣装の袖口までもが大変な見もののようです。
光る君のご内室におかれては、このような外出をまったくなさらない方である上に、お身体の具合も悪かったので、見物に出かけるおつもりなどなかったのですが、若い女房たちが、
「いやでも、私たちだけでこそこそ見物するのもみっともないでしょう」
「今回の行列には光る君様までお出ましになるというのを、一般人や下賤な田舎者でさえ、見物に来るそうです。遠方から妻子を引き連れてまで参上する方もいるとかいうことですのに」
「これを御覧に出かけなさらないなんて、あんまりですわ」
というのを、母宮がお聞きになって、
「そんなに具合も悪くなさそうだし、女房たちも物足りなそうですよ」
といって急遽お車を用意してお命じになり、ご内室も見物にお出かけになることとなりました。
※雰囲気を重んじた現代語訳です。
葵の上の不幸はここから始まるのでした。
w( ̄Д ̄ w のォォォォォ~!!
さておき、斎院とは何でしょう。
それは、朝廷で選ばれて賀茂神社に奉仕した方のことで、未婚の皇女がつとめました。
この賀茂神社が主催するお祭りが賀茂祭で、「葵祭」とか「みあれ」などとも呼ばれます。
平安時代は、単に「祭り」と言えばこの賀茂祭のことを指すほど重視されていました。
葵祭のポスターは関東地方の駅にも張り出されることがあり、今でも特別な存在なのだと思います。
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