伊予の介が任国の話を申し上げるので、光る君は道後温泉の湯桁の数でも尋ねたいお気持ちになりましたが、
―というのはもちろん以前に囲碁の勝負を覗き見た時のことを思い出したからなのですが―
気まずさから、どうにも顔を背けたい気がして、この男の家の女たちのことが頭から離れないのでした。
「このように実直な男をこんな風に思うのも実に愚かしく後ろめたいことだな。
なるほど、これこそ桁外れに気まずいことであるようだ」
と、左馬の守の忠告が思い出され、伊予の介に対して気の毒な気がしました。
また、空蝉のつれない態度は癪に障るものの、夫の身になって考えれば感心なことだともお思いになるのでした。
光る君は、娘はしかるべき男と結婚させ、空蝉を連れて下るつもりでいるということをお聞きになると、
並々ならずお心が乱れ、せめてもう一度会うことはできないだろうか、と小君に相談なさるのですが、
相手の同意を得た密会であっても、簡単にお忍びなさることは難しいのに、
まして空蝉の場合は、光る君を釣り合わないお相手だと思っていて、
今更光る君との密会は見苦しいに違いないと思って関係を持つことを拒絶しているのです。
しかし、そうは言っても、
「すっかり私をお忘れになってしまうのもどうしようもなくつらいことだわ」と思って、
しかるべき折々の光る君へのお返事の手紙などは魅力的にお書き申し上げるのでした。
ちょっとした走り書きの言葉が不思議と愛らしく、目にとまりそうなことが書き添えてあって、
いかにも光る君が心を動かしなさりそうな感じなので、
空蝉の態度はつれなく癪に障るものの、お忘れになることができずにいらっしゃいました。
もう一人の、囲碁の相手をしていた伊予の介の娘については、
仮に誰かと結婚したとしても、自分に気を許しそうに見えたのをあてにしており、
その女の縁談についてあれこれお聞きになりましたが、さして感心を持たずにいらっしゃいました。
※雰囲気を重んじた現代語訳となっております。
ご無沙汰です!
夏期講習やら何やらに阻まれて手をつけられずにおりました。
これからまた再開していきます。
前回から空蝉の話になってきた結果、かなり前に出てきた話がちょっと顔を出しました。
「道後温泉の湯桁の数」というのは、『空蝉』の巻に出てきた話です。
空蝉と伊予の介の娘(軒端の荻)が囲碁の勝負を終えて、軒端の荻がテキパキと碁石を数えていく様を、
指を屈めて「十、二十、三十、四十」など数ふるさま、伊予の湯桁もたどたどしかるまじう見ゆ。
と描写していたことを受けています。(ここを参照)
伊予の介を前にして、空蝉と軒端の荻のことが頭から離れずにいる光源氏を読者に強烈に印象づけます。
次に、「左馬の頭の戒め」というのは、『帚木』の巻における「雨夜の品定め」の時のことです。
左馬の頭が自身の恋愛経験から、光源氏(や頭の中将)に忠告をする場面です。
浮気性な女はやめた方が良い、そういう女は夫に不名誉な噂をもたらすことになる、というもので、
なにがしが賤しき諫めにて、すきたわめらん女に心おかせ給へ。
あやまちして、見ん人のかたくななる名をも立てつべきものなり。
なんていう風に書かれていました。(ここを参照)
人妻である空蝉と関係を持った光源氏は伊予の介に対して一人気まずいわけですが、
伊予の介の方は何にも知らないので、光源氏一人の心の咎なわけですが。
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